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思い出の日向ぼっこ

2023年が終わるまであと少し。
余韻みたいな狭間の時間を、まったりと漂っている。
まるで透明なゼリーみたいだと思う。
どこまで食べ進めたか分からなくなりそうだから、小まめに時計を確認している。振り子のようにスプーンを動かしながら、迎えるべきラストの一口を待っている。

少しだけ張り切って大掃除をしたせいか、元々この季節にやられやすい喉が真っ先に隙を突かれて、年末の二日間は予定外にのんびりと過ごすことになってしまった。

実家の家族とのいさかいをこじらせすぎて、慣れない怒声を放ってしまったのも原因かな、と思う。
言い争いをした直後の晩に喉の調子が悪化してしまった。日をまたいで薄れてきたものの、火傷のようなひりついた感覚がこびりついて離れない。

何度もぶつかり合って、また修復させながら、時には形を歪ませながらも、何とかお皿の形を保ち合っている。
時間はかかるし、見映えも悪いし、それでもお皿にできる限り美味しいものを載せて、それぞれ寄せ合い、ひとつの食卓を完成させる。
それが私の家族の形。


今年最後の日。午前中は曇りと晴れを行き来する忙しない天気だったけれど、午後はおだやかな快晴を見せてくれた。
窓から差し込む冬の日差しが温かくて、本来やるべきだった予定のあれこれが渦巻いていた脳内は、さらさらと透けていつの間にか砂時計に形を変えた。


冬の日だまりに2023年を並べて、日向ぼっこさせた。

・たくさん散歩した。

ドラマの影響で、草花との出会いが楽しくて仕方がなかった。
生命のきらめきを垣間見れることが嬉しくて、植物の生き様に感銘を受けた。

春夏秋冬の彩りを写真や文章に残し、ふと見返してはその可愛らしさに癒やされていた。
草花に目線を合わせると、自分という存在がうんと小さくなって広い国を旅したような気分になれる。
来年もたくさん歩いて、たくさんの草花に出会いたい。


・ドラマをよく観た。

休日の午後、熱いコーヒーとひと握りのナッツを傍らに、録りためたドラマを観るのが至福の一時だった。
終わってしまうのが寂しい、と思えるドラマに出会えるのは最高だ。
ドラマのとあるシーンや台詞がふとした時に思い起こされ、自分という人間を物語のように俯瞰的に見ることができる。
さまざまな心もよう、物事の見方、ストーリー構成など、学べるものがたくさんあって面白い。
(お気に入りだったドラマの主題歌が今年のレコ大の大賞に選ばれた。テレビの前で盛大な拍手を送った。)


・とにかく読んだ。

新聞、本、そしてnoteを含めたインターネットの読み物。時間を見つけてはとにかく他人の文章に触れた。
新たな考えや世界を知れること、自分には生み出せない言葉や文章や世界観に出会えること、そこから想像を膨らませ自分でも予期しないところまで想いを馳せる......
読む行為そのものが楽しく、新鮮で、刺激的だった。

noteも読み出すと止まらない。
素晴らしい書き手さんがこんなにも多くいらっしゃって、素晴らしい作品の数々に出会えるnoteの世界に心から感謝している。



・とにかく書いた。

今年を漢字一文字で表すなら『記』だと思っている。
noteを始めた年であり、自分の文章にとことん向き合った年だった。

意外と書けるのかも、という期待。
こんなにも書けないんだ、と落胆。
何度繰り返したか分からない。

感じた気持ちを忘れないように留め、逃さないように言葉に変え、伝わるように届ける。

自分にしか見つけられない“答え”を探し、納得するまで突き詰めて、書いては消して書いては消して……
そうして生み出した作品は、私の魂の一部だ。

そんな孤独な作業を続けていると、ふっと沈んで光を見失うこともある。
でも、いつもnoteのみなさんが温かく見守り支えてくださった。

自分が書く文章に自信を持てるようになれたこと、書くということがさらに好きになれたこと、書くことでもっと広い世界を見てみたいと思えたこと。

今、胸の中できらきらと輝きを放つ想いは、関わってくださったみなさんのお陰で生まれたものだ。消えない星となってこれからも光り続けていく。

みなさん、本当にありがとうございます。

そして来年もよろしくお願いいたします!


書き続けた先で出会えた愛のあたたかさ、その喜びに心をふるわせながら、2024年を迎えたいと思います。

来年も素晴らしい言葉に恵まれる一年になりますように、星に願いを込めて.....


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