見出し画像

砂の惑星の薬物


巨大な砂蟲が疾走してくる、砂漠の世界。ローマ帝国のような寡頭政治体制と、壮大な宇宙船。貴族の権謀術数と勇猛な砂漠の民の戦争。

ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の映画『デューン』が公開されて、そのただただ美しい世界に圧倒されたあまり、勢いあまって原作の『砂の惑星』新訳版(フランク・ハーバート、酒井昭伸訳、ハヤカワ)を読んだ。

映画の感想はこちらに書いてます。

なんとハヤカワ文庫の旧訳のシリーズはすべて絶版になっているらしく、いまKindleで入手できるのはシリーズ第一作の『砂の惑星』だけ。

何十年か前にハヤカワ文庫の旧訳で読んだはずだけれど、ほとんど忘れていた。前に読んだときはあまりよく理解できなかったのだと思う。

今回読んでみて、とてもおもしろかった。そして、おおお、ここにも「ニューエイジ」の原型があるんだ、と思った。いろいろに画期的な物語だけど、物語世界に薬物がはたす役割も、面白いと思った。

ストーリーではなく背景の設定をごく簡単にいうと、「デューン」の世界では、皇帝の治世下、少数の貴族が銀河にひろがるあちこちの星系の惑星を治め、恒星間飛行は「ギルド」という商業的な組織が一手にになっている。

ギルドの航宙士は、砂漠の惑星アラキス、別名デューンで産出するメランジという名の「香料(スパイス)」を摂取することで超常的な予知能力を身につけ、その能力によって通常の空間を超えて宇宙船を動かすことができる。つまり、人間の能力を高めるこの薬物がないと、人類はそれぞれの惑星にバラバラに取り残されてしまうことになる、という設定なのだ。

有力な貴族の家には、ベネ・ゲセリットという女性だけの教団から、修業を積んだ優秀な女性が正妻または側室として送り込まれ、かげひなたに政治に影響を与えている。

この教団も、修練によって心身のコントロールを高める。その修業のさまざまな段階で、意識を変容させるために数種類の薬物を用いる。

この世界ではコンピュータが廃止されているため、超常的な計算能力をもつ「メンタート」という専門家たちが、国家の重大なことがらについて計算をおこなう。そのメンタートたちも、特定の薬草を常用している。

人間の意識のあり方を変え、それにより能力を高め、普通ではできないことができるようにする。そのために、瞑想や修業、ときには薬物を使う。これはいうまでもなく大昔から世界のあちこちで秘術として受け継がれてきたことで、20世紀なかば以降には、そのアイデアが特にアメリカのカウンターカルチャーのなかで大衆化して「ニューエイジ」という曖昧な受け皿のなかに、あるいは「スピリチュアル」という更に大きな受け皿のなかに流れこんだ。

原書は1965年の出版。雑誌に連載されていたのは1963年から64年だという。

アメリカではちょうどその頃は、まだ違法ドラッグに指定されていなかったLSDを使った心理実験がセンセーショナルな話題となっていたときだったから、当然その影響を受けているのだと思われる。

フランク・ハーバートの天才は、アラキスの砂漠に産する薬物をミステリアスな「スパイス」としたこと。「スパイス」には、ヨーロッパの船乗りがコショウなどを求めて大海原を旅した大航海時代のロマンチックな響きもある。

人間の意識を変え、予知能力を引き出し、目を青く染めるこの「メランジ」が単に「ドラッグ」と書かれていたら、魅力は半減したかもしれない。砂塵にまざって空気中に飛んでいるシナモンのような香りの「スパイス」が、いやおうなしに、惑星そのものの意思であるかのように主人公ポールの意識を変えていくその自然さと神秘性。

ベネ・ゲセリット教団は、身体の状態や意識の状態に細かい注意を向ける修業を通して、自他の心身を高いレベルでコントロールする能力を身につける。修業を積むと、筋肉と神経を完全に制御することができ、代謝能力も停止させられるし、さらには声音で相手の心を操ることもできるようになる。

『スター・ウォーズ』でオビワン・ケノービが帝国軍の兵士を声音で操るシーンを思い出す。修業によって身につけるジェダイ騎士団のこの超常能力も、『砂の惑星』シリーズが『スター・ウォーズ』に与えた大きな影響のひとつなのだろう。もちろん、どちらも、そのインスピレーションのおおもとはヨーガなどの東洋のスピリチュアルな伝統なのだろうけれど。

1970年代なかばに公開された『スター・ウォーズ』では、もちろんジェダイが薬物を使う描写はない。よい子にはとんでもないことだ。70年代、時代は保守化に向かっていた。

1960年代以降、アメリカにはヒッピー、ウッドストック、ビートルズ、「ZEN」や瞑想やヨーガの波がつぎつぎにやってきて、それぞれ非難されたり罵倒されたり馬鹿にされたりしつつも、だんだんに、アメリカのみならず社会の常識を変えていった。20世紀後半のサブカルチャーでは「意識のあり方」の変革が、いろいろな層やスタイルや方法論で試され、揶揄され、糾弾され、挫折し、再度試され…ていった。

いまではマインドフルネス瞑想が企業にも浸透して、中身と程度の差はいろいろあるにしても、意識のあり方を変えるということ、「覚醒」を求めようとする人がとても増えた。

一方で薬物の使用については、マリファナが合法になっていく流れの一方で、一般に激しい禁忌感情があるようだ。今後50年くらいのうちにまたそれも少しずつ変わっていくのかもしれない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?