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女言葉と役割語

先日Twitter上で、翻訳の女言葉が話題になっていた。

「…だわ」「…よね」「…のよ」といった女言葉は、いまどきもうほとんど日常でつかわれないのにもかかわらず、洋画の吹き替えや文芸書の翻訳では、女性登場人物たちがステレオタイプな女言葉を話しているので違和感がありすぎる、という。

おおおー、と思った。
わたしは仕事で小説を訳すことはないけれど、機会があったらやはり女言葉を使うだろうか、と考えさせられる。もちろん、時代背景や作品の内容、キャラクターの年齢にもよるけれど。

そしてそれ以上に、そうか、女言葉ってもう日常的に使われていないのねぇ、ともしみじみ思った。昭和に生まれ育ったわたくしたちの世代は、仲間うちでも「そうよねぇ」「そうだわねー」と、けっこう意識的に女言葉を日常使いするのである。でもこの言葉の感覚は10歳下、20歳下の世代とはだいぶ違うのだろうな。そうかそうか、女言葉は死につつあるのか。

昭和生まれのわたしは、明治大正の文学や昭和30年代くらいまでの映画に出てくる女性たちの言葉づかいに自分の直接触れることのなかった少し前の時代を感じた。

たとえば漱石先生の描いたこんな女の子。

縫という娘は、何か云うと、好くってよ、知らないわと答える。そうして日に何遍となくリボンを掛け易える。近頃はヴァイオリンの稽古に行く。帰って来ると、鋸の目立ての様な声を出して御浚をする。ただし人が見ていると決して遣らない。室を締め切って、きいきい云わせるのだから、親は可なり上手だと思っている。代助だけが時々そっと戸を明けるので、好くってよ、知らないわと叱かられる。
(夏目漱石『それから』)


令和の若者たちには、昭和の女言葉がそんな風にちょっと古めかしい響きに感じられるのかもしれない。

文学評論家で教授の勝又浩さんが日本語の「役割語」について書いていた。


世界に類のない女ことばは、ある時代には民族の誇りだったり、一転して封建制度の名残だったりしてきたわけだ。

言い換えると、「役割語」はこんなふうに日本社会の隅々にまで浸透した、一つの文化なのだ。だからそれを聴き分け使い分け演じ分けるところから、日本固有のさまざまな語り芸も生まれたのではないだろうか。
…「役割語」は一人の人間の一日のなかにも貫かれている。…日本人は常時『役割語』をこそ生きていると言ってよいだろう。そして、そうだとすれば、それは日本語の自称詞、一人称「わたし」の働きと一体になった性格なのだ。

英語の一人称『I』とは違って、日本語の自称詞「わたし」には固定したも  のがない。…日本語の一人称「わたし」は、自分を常に相手との関係のなかに位置づける「役割語」そのものなのだ。
…日本の文化は全て日本語一人称の「役割語」としての性格のうえに築かれている。    

勝又浩 「役割語」の問題(二) (「短歌往来」2021年1月号 100P)

役割語」という単語を、恥ずかしながらはじめて知った。言語研究者の金水敏さんの研究テーマのひとつらしく、書籍も出ている。

国際交流基金のサイトで、金水さんは以下のように説明している。

直接的な命令形「行け」「行くな」のような形が男っぽいのに対し、「行って」「行かないで」のように“お願い”するような調子は女っぽく聞こえます。その他、「行ってちょうだい」「行ってくださる?」のようなやさしい言い方は女専用と捉えやすいでしょう。

 ところで、これらの男女の話し方の違いは、明治時代の東京ででき上がりました。いまでもこのような使い分けはフィクションの作品のなかにたくさん見つけ出すことができます。特に、外国語の作品を翻訳したり、日本語に吹き替えたりするときには、これらのちがいを強調する傾向があります。
[国際交流基金 - 日本語教育通信 日本語・日本語教育を研究する 第41回]


なるほどー。明治時代の東京で出来上がったんですね。

上で引用した漱石の小説にでてくる「よくってよ。知らないわ」がとても印象に残っていたのだけど、これはこの女の子が年頃の娘らしく自分の役割をものすごく意識していて、そこにぴったりはまる物言いだからだと思う。はっきり意思表示をするようでいて、役割としての媚態がほのめかされてもいる。そして年頃の娘だけが振るうことのできる一種の権力を、許された範囲でぴしゃりと振るう。それほど自由ではないのに許可された範囲で目一杯自由に振る舞ってみせる明治の女学生に割り当てられた自意識をよくあらわしている言葉だな、と思うし、東京山の手の女の子らしいキャラクターをよくあらわすその言葉が漱石の耳にも残ったのだろう。

上記の勝又さんは

日本の文化は全て日本語一人称の「役割語」としての性格のうえに築かれている」(同上。101ページ)

と言いきっている。
その役割語に加えて、序列の位置関係による敬語というものもある。日本語では常に「関係性」と「役割」への配慮が求められるのだ。

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