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ーーーワクワクってなんだろう。言葉にできますか?


僕にとってワクワクには一つの意味が込められている。


ーーーそれは、『とても泥臭い』ということ。


ワクワクするという言葉をよく聞くが、ワクワクを明確に言語化できる人は少ないのではないか。『ワクワクするってなんか楽しそうなことでしょ?』。確かにあっている。あっているが、それは少し解釈が間違っていると思う。


ぼくは『ワクワクすることで目の前を彩る』という理念を掲げており、とても大切な価値観だ。人生において、ワクワクすること以外はやらないようにしている。


ワクワクとは、『未来に向けた泥臭い想い』だと思っている。


ワクワクはよく、期待や喜びで心が落ち着かないさまを意味していると解説されている。ちなみにワクワクという言葉は、江戸時代から使われているらしい。語源は、水などが地中から出てくる様子を意味する「湧く」「沸く」から生まれた言葉と考えられている。要は水を必要としていた人々が井戸を堀り、水が湧くように出てくるようにしたところからワクワクという言葉が生まれたと考えられる。しかしそれでは水を得たという結果しか見えておらず表面的な理解しかできていない


ーーーワクワクという言葉の中には、『汗水垂らして地面を掘ったプロセス』があることも忘れてはいけない。

水が地面から出るなんてこと、初めは誰も信じていなかっただろうに、地面から水が出ることを信じて掘り続けた人がいる。その人はきっと、『水が出ないのにまだ続けているのか。馬鹿馬鹿しい』と心のない言葉を浴びせられたこともあっただろうに。
それでも昼夜構わず、誰かの為に地面を掘り続けた。ある日、その行動をみた人たちが手を貸すようになった。毎日おにぎりの差し入れをくれたり、掘るのを手伝ってくれたり。ある日には子供が『頑張って〜!』と声をかけてくれる。その想いを胸に、自分が実現したいこと(水が出るようになれば多くの人が喜ぶ)を愚直に続けた。その結果、その想いに共感してくれる仲間が少しずつ増えて、井戸を掘るスピードが上がった。
そんなある日、ついに水が出た。ぽっかり穴の開いた周りには十数人いただろうか。そこに居合わせた仲間がガッツポーズやハイタッチをして喜んでいる。ある人は腰を落として呆然としている。ある人はかかとを翻して村へ走る。その人は地中からぽっかり穴の開いた空を見上げて思っただろう。『こんなにみんなが抱き合って喜んでいる。本当に続けてきてよかった』と。


ぼくがなぜワクワクという言葉を理念にしているのか。それは、心からワクワクできる仲間と出会えた経験があるからだ。それは毎朝満員電車に揺られて会社へ通い、誰よりも目の前の仕事を一生懸命真面目に取り組んだ成果だと思っている。ワクワクは、自分が実現したいことに向けて一生懸命取組み、成し遂げた時に感じる感覚だ。


ワクワクを考えることは、どんな出来事においても重要な判断軸になっている。たとえ誰かに『需要ありそうだから一緒にやろうよこれ!』と誘われたとしても、ぼく自身がその未来を考えてワクワクしなければ、お断りするようにしている。それはぼくのワクワクではなく、彼自身のワクワクだから。ワクワクは人によって尺度は違う。限りある人生では、自分が本当にワクワクできると思ったものに全力投球すべきだ。


いまはいろいろな方に支えられながらワクワクできることに一生懸命取り組んでいる。仕事を手伝ってくれる方や、本当に忙しいのにすごいお世話をしてくれる方、毎日たのしい時間を作ってくれる家族、そっと見守ってくれている親など。


大した成績を上げてきたぼくではないけれど、それでもとてもたのしい日々を過ごしているなと感じる。そんな令和3年の2月だ。

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