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一年の振り返り

長い文章になってしまったのでまずは写真を貼ります。
気温も上がり、本格的に春を感じ始める一週間でした。

最近誕生日を迎え27歳になったのですが、振り返るとなかなか味わい深い1年だったので、数十年後の酒の肴のために文字に起こしておきます。

2023年の年明け、前触れもなく祖父が亡くなりました。
祖父母とは大学進学まで一緒に住んでいたのでショックが大きかったです。
怒りやすく自分勝手で家族にいつも迷惑をかけており、あまり褒められた人ではなかったと思いますが、少なくとも孫の自分に対する愛情は不器用ながら感じられました。
1500円まで好きなお菓子を買ったるといって近くのスーパーによく連れて行ってもらってたなーとか、ファミマでおにぎりを買って異常に遅くタバコ臭い車に揺られて森林公園によく行っていたなーとか、お通夜の後、棺桶が置かれた静かな会場で一人座りながら思い耽っていました。

2023年の春~夏頃、この時に入ったプロジェクトが地獄の始まりでした。
始発で出社し、終電もしくは終電を逃し深夜2時3時にタクシーで帰るのが当たり前の日々でした。
真夜中のタクシーの車窓に流れるスカイツリーをぼーっと眺めながら、人間は原始社会から分業化/産業化により効率性を上げてきたのに、なぜ自分は原始人より労働しているんだろうとよく思っていました。
出社すると毎日マネージャーにアウトプットを詰められ、この時は会議が恐怖でしかなく、大丈夫大丈夫と心の中で唱えることでよく落ち着かせていました。
どうしても土日出社が必要になった時、帰りの東西線の車内で無感情なのに勝手に涙があふれてきたのをよく覚えています。

そんな中、当時4年ほど付き合っていた人とも別れました。
思い返すと趣味や人との距離と取り方、物事への考え方、その表現方法など全く違っていたので正しい選択だったのかなと思います。
さらに仲の良い友達との危機も訪れます。
その友達は会社の同期で、同じく激務PJにアサインされており、いつも真夜中にビデオ通話を繋いで愚痴ったり慰めあったりしながら仕事をしたり、たまに土日もカフェで一緒に残業をしたりしていました。
その友達に急に距離を取りたい、もう話しかけないでほしいと言われました。
当時の自分の精神状態が沈み切っていたので、相手に対して無配慮な言動で何度も傷つけてしまっていたようでした。
いつも助けてくれていた人をずっと傷つけていた自分にすごく腹が立ったのですが、自分にできるのは真摯に謝ることで、それを許してもらえるかどうかは相手に委ねました。
最終的に許してくれたのですが、嫌なことがあった時に何も言わず距離を取るのではなく、直接伝えてくれたその人には今でも感謝しています。

ちなみにこの時人生初めての占いに行ってみたのですが、"今年のあなたのキーカードはDeathです、仕事、趣味、恋愛、交友関係、全方位すべてうまくいきません"と言われました。

2023年の秋頃、再び地獄プロジェクトにアサインされました。
上司はこれまで何人もの部下を潰してきたことで有名な人でした。
典型的なDV男タイプで、真夜中に感情的に詰めてきて翌日になるとごめんね、でも成長してもらいたくて、と謝ってきました。
お前がはよ成長しろやとずっと思っていました。
毎日深夜12時半くらいにチャットに来る「今話せますか?」から始まり3時くらいまで永遠とビデオ通話で詰められました。
やっと終わったかと思うと自業自得なのでこれから作業終わらせてくださいと言われ、朝6時まで仕事をしたこともありました。
プロジェクト終盤はその人と話すときは声が震えるようになり、会議後にトイレで吐いたこともありました。
そんな日々が2か月続きましたが、ここまで精神的・肉体的に追い込まれると人間は無感情になるんだなと思いました。
ただ、こんなやつに屈したくないという謎の思いでただただ耐えていました。
上司に相談してもクライアントが第一で、PJを抜けられると穴埋めが大変なので耐えてくださいと言われました。

そんなある日、おばあちゃんが泣きながら電話をかけてきました。
話を聞くと母が不倫をしているのが発覚したらしく、自分の育て方が間違ったのではないかと自責を繰り返し、ご飯も食べられなくなっているとのことでした。
あぁ、もうこれ以上は無理、、と思いました。
自分も精神的にギリギリだったので、毎週末おばあちゃんが泣きながら話すのをただただ聞く日々でした。
ちなみに母の不倫そのものに対しては大人なので勝手に処理してくれという感じなのですが、これまで身を粉にして子供のために働いてくれた母に対してどこか生理的な拒否感が生まれてしまったことに気づき、未だに気持ち的な折り合いがつかずにいます。

いろんなことが重なり、週末もベッドから動けず空費する日々だったのですが、夏頃から通っていたコンセプトカフェだけは行くようにしていて、それが精神的に最後の救いになっていました。
秋葉原の外れ、雑居ビルの二階で店長と話している時、考え方や空気感、距離感がとても心地よく、その1時間だけがこの世の業を煮詰めたような現実を忘れることができ、もう少しだけ頑張ってみようという気になることができました。

冬頃には地獄PJも終わり、メンタルも徐々に回復し自己肯定感も元に戻りました。
カメラを始めたのも大きく、最近はカメラに連れられていろいろなところに外出するようになりました。
仕事でも評価され自信もつきましたし、今では仕事が楽しいとさえ思えるようになりました。

よくやく態勢を立て直せたので、次の一年は自分がやりたいと思うことを愚直にやっていきたいです。
もっといろんな仕事を経験してみたいし海外でも働いてみたい、カメラも自由自在に撮れるようになりたいし新しいレンズも欲しい、海外旅行にも行きたいしおばあちゃんと温泉旅行も行きたい、量子コンピュータも勉強したいしブルデューも読みたい、N響のブルックナーも聴きたいし白銀荘も行きたい、中国語も流暢に話せるようになりたいし山奥のお寺にも泊まってみたい、などなど今では活力に溢れており、noteもその一環です。
あとはものすごく内向的な性格に加え、去年は意図的に人と関係を持つのを避けていたのですが、人と関わることでしか得られない幸福感もあり、それが自分にとっては結構重要だなと感じ始めてもいるので、もう少し社会に出ていきたいなとも思います。
ただ、人が苦手なのに人と関わることでしか得られない幸福感があるのは厄介な性格だなぁと思うばかりです。

自分の一年の出来事をだらだらと書いてしまったのですが、ここまで読んでくださり本当にありがとうございます。地獄だなぁと思っていた一年もこれで成仏したと思います。

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