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目黒川の桜守

東京で初めて見た桜は、目黒川の桜だった。川沿いの桜のトンネルをくぐりはじめてすぐに、ほんの小さく息を呑む。

本当にトンネルなのだ。歩めど歩めど、人を包み込むように綺麗なアーチ状になっている。一方、根こそぎゆらりと沈んでしまいそうなかたちで川に面した枝だけ雪崩れていた。

人のための枝振りをしていた。人が通りやすいように、車を傷つけぬように。

京都の桜は、しばしば枝へ触れないようにそっと遠慮しながら愛でたものだった。枝振りが違う。桜との生き方が違う。

きっと、仕方がない。京都も東京も、日本のために賭してきたものが違うのだもの。

北野天満宮の飛梅の前で、隣り合った老爺がぼそりと口にした言葉を思い出す。

「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」

現代の東京にはそぐわない言葉かもしれない。共生できる枝振りになってくれている。してくれている。

いつ枝を切り落としたのだか。あれだけの幹を腐らせずに、花をたわわに咲かせてくれている。

今年も桜守に感謝して、東京の桜を愛でる。

生きる糧