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【日本人の幸せとは】競争に勝つことが人生なのか?

17歳の時、南太平洋にある、フィジーという国で一年間、留学をしていました。留学中に一番印象深かったのが、子沢山な家に新たに赤ちゃんが生まれた際、不妊で悩む他の近所の家に、生まれたての赤ちゃんをあげていた事でした。


子供をあげた家が貧乏で、貰った家が金持ち、という訳ではなく、フィジーのケレケレ文化(シェアしようという文化)が色濃く出ている出来事でした。


どの家で生まれても、子供は近所全員で育てるものなので、どの家で育つかはさして大切な事ではないのです。地域にいる全員が子供で、それと同時に全員が親でした。子供を産んだばかりの母親はとにかく休むように言われ、産まれたばかりの赤ちゃんの世話は、近所の人が代わる代わる行っていました。何よりも他人との共存を重視して生きている人たちでした。


日本に帰ってきて、フリーターを経て大学生になり、気づいたことがいくつかあります。それは、フィジーの幸せの軸が「他人と共存する事」だとしたら、日本の幸せの軸は、「競争に勝つ事」だ、という事です。日本では、フィジーのような子育てシステムや距離の近いご近所づきあいは一般的ではなく、共存は重視されていません。それよりも、個人主義的な考え方が根付いており、自己責任、損得勘定など、むしろ、共存を拒むような考え方さえ多く見受けられます。その結果、日本人は、フィジー人達より経済的に豊かではあるけれど、人間らしい他者との関りが少なく、常に孤独と隣り合わせで生きているように見えます。


強い競争心故に、日本は経済大国になる事が出来たのかもしれません。しかし、いくら日本がフィジーより豊かな国だと言っても、フィジーにも電子レンジやテレビなど、基本的な家電製品はあります。日本で生き、競争を続けた結果が、少し性能の良い家電製品と、深い孤独感なのだとしたら、それはあまりに虚しいと、私は思ってしまいます。


日本人は、自分達が幸せになる事を目指す事よりも、社会から与えられた競争に参加し、それに勝ち、自分の優秀さを他人に認めさせる事の方が、大切だと思っているのではないでしょうか?偏差値の高い学校に行き、給料の良い有名企業に勤め、ブランド品や広い家を所有したいという願望。競争に挑み続ける胆力や努力は素晴らしいものですが、それは本当に自分が望んでいる事なのか、社会に押し付けられてしまったものなのか、一度立ち止まって考えてみる時間も、必要なのではないでしょうか。

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