おもんぱかる

 最近(この人とんでもないな!)という人に出会う機会が多くて、その人たちに共通する特徴に思い当たったのと、あまりにも精神を削られすぎていて吐き出さないとしんでしまうので、書くなどします。端的に言えば愚痴なのですが、今回長いです。

 想像力がないことはかなり悪いことだと思っています。この"悪い"というのは人間として欠損しているとかいう批判の意味ではありません。それは生得的なものではなく、基本は習得できるものなので。わたしは努力が見られないことに怒りを覚えてしまいます。

 人間同士が関わりを持つ上で最も大切になるのが、この想像力というやつだと思います。いくつかのシーンを通して、これを見ていきます。


シーン1 友人同士の会話
A「明日の食事はどこに行こうか? イタリアンなんてどうかな?」
B「そうだね、わたしの家の近くに美味しいイタリアンのお店があるんだけど、Aの家からも来やすいと思うよ。」

 友人同士で食事に行く前の会話を想定してみました。
 Aの発言に注目してみます。これには、ただの問いかけのみでなく提案も含まれています。相手に完全にお任せするのではなく、自分からも意見を出すという配慮です(最終的に任せることになったとしても、相手が受け取る印象はかなり変わるように思います)。
 Bの返答はどうでしょう。自分がアクセスしやすい場所を提案しましたが、相手のアクセスのことも考慮に入れています。相手を自分の場所まで来させるのは申し訳ないからせめて、という配慮です。


シーン2 仕事の休憩中に
C「Dさんは、年末年始にどう過ごす予定ですか?」
D「地元のX県に帰省する予定です。」
C「奇遇ですね、わたしもX県出身で、帰省しようと考えています。」
D「そうなんですね。ちなみに、どのあたりですか? わたしは、北側の出身です。」

 今度は友人同士でなく、もう少し心理的距離のある人間関係を想定します。そのような関係値の人間とする会話には、場を繋ぐため、という目的が多く含まれるように感じます(実際、わたしもそんな会話をすることがあります)。無言でいるよりは、中身が薄くても会話をした方が好ましい。なぜなら相手も気まずくないし、親交はないよりあるほうが良いからです。
 つまり、最初のCの問いかけは、本当にDの休暇に興味があってした、というわけではないのです。
 シーン全体を通して、CD二人共に会話を続けようとする姿勢が見られます。お互いに問いをかけあいつつ、自分の話もそれなりにしています。これは上記の前提(友人ではないが、無言より会話をする方が好ましい)が二人に共有されているからです。これはこの二人だけに共有されている価値観ではなく、多くの人間が持つものだと感じます。


 二つのシーンを想定してみました。ABのシーンで出した「配慮」、そしてCDのシーンでの「前提」は、本質的にはかなり近いところのものだと感じます。なぜならそれらは相手を気遣う、つまり相手のことを想像するところから発生するものだからです。

 その場にあるものの話をするのは難しいので、次は無い場合を想定してみましょう。


シーン3 知り合い同士の会話
E「大学ではどんな授業を受けているの?」
F「経営の授業が多いよ。」
E「経営というのはどういう勉強をするの? 実際に場面を想定したりするのかな。」
F「よくわからないけど、難しいよ。」

 知り合いの二人の会話を想定し、ここではあえてFから「会話を続けようとする配慮」を取り去ってみました。どうでしょうか。一問一答のように感じられますし、FがEに具体的な説明や質問をしない限り、二、三回のラリーで会話が終了してしまいそうです。

 無い場合を想定したことで、想像力の大切さ=想像力を持たない/想像しようとしないことの悪さ、が明確になったのではないでしょうか。

 シーン3のFのような人間と、皆さんは出会ったことがあるでしょうか。もちろんここまで極端にとは言いません。想像力が欠けている/想像力を働かせようとしない人間に…

 たとえば、よくある痴話喧嘩の、「彼がわたしのことちっともわかってくれないの!」という台詞は、この想像力の話によく当てはまると考えます。気分を害している彼女に配慮をしない彼、彼の事情を想像することのない彼女(もっともこのふたりには、冷静さも足りていないのかもしれませんが)。

 また、どこかで「仕事ができない人」に出会ったことはないでしょうか。この人は大抵、自分が及ぼす影響や周りの物事の動きに疎く=想像力を働かせておらず、それゆえ報連相の大切さも理解していません。そのせいで周囲の人間が迷惑を被っています。しかもそのことに気がついていない場合が大半です。


 だいぶ私怨が混ざってしまいましたが、ここまで主張すればわかっていただけるでしょう。想像力がないことは悪であると。あなたにもきっと、あなたの苦手な人がだいたいこれに当てはまると思っていただけたのではないでしょうか。

 想像力がない人の事情を想像してあげられない私の想像力の無さからは目を逸らして、このnoteを終わりにしようと思います。



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