僕は君のことをどれくらい知っているのだろう

最近集中して読書ができない。

一時期は何かに追われるようにビジネス書を読みまくっていたが、最近はそんな気も一切起きず、平日の空き時間も休日もぐったりとしている。

こんな時は自分に刺激を与えようと考え、観た映画が今回の作品


「アメリカンサイコ」
ウォール街の証券会社で働くエリートサラリーマン・パトリックは、同僚とステータスを競う中で溜まったうっぷんを、殺人を通して昇華するようになる。殺人を繰り返すうち、幻覚が見え始め、、とうとう街中で発砲し、警官たちと銃を撃ち合い、パトカーを爆発させ、ヘリが飛び回る大事件を起こしてしまう。もう逃げられないと思ったパトリックは顧問弁護士に自分の犯行を告白するが、信じてもらえず、同僚も自分の関心ごとに一生懸命。パトリックは犯した罪すら誰にも認めてもらえず、アイデンティティが崩壊していくのだった。


導入部分で、「握手すれば相手は暖かさを感じるが、でも僕はそこにはいないんだ。」と語っていたことから、社会の中でエリートであるゆえに、外での自分と本当の自分のギャップに悩み、結果凶行に走る、というような単純なストーリーかと思ったが、他にもメッセージが含まれていた。


①他社と同じ基準、画一化された社会

エリート社会の中では、皆が同じ髪型で、同じブランドのスーツを着て、名刺のフォントと紙質を競い合う。

彼女から、「仕事が嫌ならやめれば?」と言われても、「社会不適合者になるのが怖い」と、コミュニティから抜け出すことができない主人公。

周りの人皆が素晴らしいと思っているモノがあると、それがまるで自分にとっても素晴らしいもののように思えてしまうことってよくある。

パトリックもそんな青年で、エリートのコミュニティに所属しているうちにいつの間にか自分を見失ってしまったのだろう。


②極端なほどの他者への無関心

ラストで、殺人の罪さえも認めてもらえなかったパトリックを見て思い返すと、作中の登場人物達はいつも自分の関心ごとを各々が話していたり、他人の見分けがついていなかったり、死体を引きずって床に血の跡がついても誰も騒がなかったり、普通なら気になるような出来事がいくつもスルーされていたことに気づく。

作品中で主人公に恋心を抱き、旅をするのが夢だと語り、主人公たちとは別の価値観を持って生きていた、唯一人間味のあった秘書だけが、主人公の凶行、異常性に気づいたのも面白かった。



「そこに僕はいないんだ」という言葉は、社会の中でエリートを演じているという意味と、他社から自分の存在が認知されていないという2つの意味を含んでいるのかもしれない。

映画を観終えて解説を読むまで、他人への無関心がテーマにあるとは思えないほど、ストーリーは自然で、でもいったん気付くと明らかにかみ合っていない。

最初そこに気づけなかった自分も、もしかしたら他人に無関心な人間なのかも(笑)。

なかなか面白い、好きなタイプの作品でした。

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