見出し画像

物質が与える人物像について

昨日、今日と、大きなさようならをした。

ゴルフクラブと、車。

さすがに2つとも、泣きそうになるのを堪えながらの、泣く泣くのさようなら。

物は手にしたように見えて、手にできていた訳ではない。
さよならさえさよならじゃない。

でも、少しの間一緒に過ごせて幸せだった。

思い出がたくさん。
むしろ、涙が出るほど好きだと思える
ゴルフクラブや車と出逢えて幸せものだ。

ありがとう。

なんだか、さよならしたとき肩の力が抜けて、
わたしの命がふっと軽くなった気がした。
大切な部分をなくしたようなかんじ。

さよならの季節だなと思いながら。

物がわたしをわたしたらしめる訳ではないけど、
そういった側面もあるなと思った。

そう考えると、身の回りの物質が作り上げる
自分像が、それは本物なのか、それでいいのか、
なんて考えてた。

少なからずわたしは、
きなこ色のパッソちゃんに乗るわたし、
を自分単体の意味よりも可愛げを加算してた気がする。

白と紫のオノフちゃんズでゴルフをするわたし、
をセンスのあるゴルフ女子という特別感を抱いていたのも確実だった。

物が左右するセルフイメージ、
他社からのイメージ、、

そしてその組み合わせから成る
わたしという存在。

それらをたくさん、たくさん
ぽいぽいしている今のわたしは
次はどんなわたしになるのか。

全て捨てて、リセットしたら、
人はどうなるの?

と悲しさの向こう側を考えたday

そして、コロナさん、お願い、

わたしを海外へ行かせてください。。

画像1



最後まで読んでくださりありがとうございます。 お役に立てたのであれば嬉しいです。 サポート頂けるとびっくり嬉しいです。