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変な人 (9)決して座らないオババ

 そのオババは本当にガンコだった。

 それはいつものように、丸の内線で新宿に向かっている時の出来事。
 朝の10時。車内はそこそこ空いていて、ちょうど座席がすべて埋まるくらいの人しか乗車していなかった。
 そこに、一人のオババが乗り込んできた。
 見たところ70歳代後半。和服を着込み、髪は銀髪。本当に痩せていて、袖から出た腕は、まるで枯れ枝のようだった。
 その和服オババは、電車に乗り込むと、ドア脇のポールにつかまるが、腕の力がなく、まったくフンバリがきかない。電車の少しの揺れにも、右に左に身体を大きく揺すられている。
 1mほど離れた場所に座っていた私は、反射的に席を譲ろうと立ち上がり、
「どうぞおかけください」
と、ごく普通にそのオババに声をかけた。
 しかし、そこで予想もしない返事が返ってきたのだった。

「結構です!」

 オババの返事は、その細身から搾り出すように、おどろくほど強い口調で発せられた。
 私は何も言い返せないまま、元の席に戻り、座りなおすしかなかった。
 しかし、話はそれで終わらない。
 むしろ、そこから辛く「針のむしろ」のような時間が続くことになる。
 電車の揺れに、大きく揺すられ続けるオババ。
 本当につらそうだ。次の駅くらいで降りるから「結構です」だったのではないのか。そんなことも考えながら、目の端で激しく揺すられ続けるオババの姿を観察。
 しかし、次の駅に到着しても、オババは降りるそぶりも見せない。
 私の向かい側の席から人が降り、そこに新たに乗車してきた女性が座る。
 走りだした電車は再び揺れ出し、オババも急流に漂う葉っぱのように揺れている。
 それを見て見ぬ(しっかり見てるけど)ふりをするしかない私と横並びの人々2~3人。
 ふと視線を前に移すと、新しく乗ってきた女性がこちらの方を、猛烈な怒りを込めた非難の目で見つめている。
 その目は明らかに、
「なぜ、お前たちは席をゆずらないのか!」
と言っている。
 女性も座ってはいるが、その女性が席を譲る前に、率先して譲らなければいけない人間が5~6人はいる。
 そして、その筆頭の位置に私はいた。これは辛い。目の前には振動の度に振り飛ばされそうに揺れるオババと、こちらに怒りの目を向ける女性。
 自ら引き起こした私の辛い状況をわかっているのか、オババ。
 いったい何をしたいのだ!
 電車はなおも盛大にゆれ、今にもポールを握った枯れ枝のような腕が折れてしまいそうだ。
「なぜ、席を譲らないのですか!」
 さらに女性の視線が執拗にこちらに向けられている。
「だって、譲ったんだよ」と心の声を上げる私。
 電車が次の駅に近づき、レールの切り替え位置を通り過ぎ、車線を変更するために今までよりさらに大きく揺れた。
 その時、ついにポールからオババの枯れ枝、じゃなかった、腕が離れ、たたらを踏むように尻もちをついてしまう。
 しかし、その姿を見ても、情けないことに私はとっさの救いの手が出せなかった。
 きっとまた「結構です」と言われてしまうのではないか。そんな思いが小心者の私の行動にストップをかけてしまう。
 その時、非難の目を私に向けていた女性が意を決したようにすっくと立ち上がり、オババの方に歩みよる。そして、こちらにも聞こえるように大きな声で、
「こちらに、おかけになりませんか」
 2mほど離れた席を指し示しながら優しい声をかける。さて、どう出る枯れ枝オババ。
「ここで座るのか! いや、もう意地をはるのはやめてくれ。オレは誤解されたままでもかまわない。着席してくれー」
と心の中で叫ぶ。
 その時響く、オババの返事。

「結構です!」

 うわー、出たー。その返事に唖然とする女性。
 いったいオババ、アナタになにがあったんだ。どうしてそんなに頑なな人になってしまったのか。なぜそれほどかわいげのない人に育ってしまったのか。
 そんなことを感じながらも、私に関する誤解は解けたように思われ、ちょっとだけホッとする気の弱い私なのであった。

(つづく)


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