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生成AI時代の学校を考える:講義形式+テストのモデルから脱却しよう

こんにちは。『あの人がいた時は、何か楽しかったね。』と言ってもらえるような存在になりたい、OZ-WARASHIです。

生成AIがあたりまえに生活に取込まれる中、あらゆる技術の進歩が加速度的に進む事が見えてきました。このような時代、学校はどうあるべきか。

従来、学校では、先生が生徒に対して、知識を分かりやすく再構成した教科書や講義ノートを注意深く準備し、授業は毎回周到に準備された順番と完ぺきな板書、講義中は、生徒は前を向いて静かに過ごす。おしゃべりも気を散らす事も禁止、とにかく先生の講義に集中すべき。

こんな風景が常識となり、定着し、当然の学校の姿になっているのが今の学校。

しかし、生成AIがもたらす社会の変化と要請によって、すっかり変わる必要が生じています。

講義形式を生徒の側から見てみると、講義の内容を順番通りに受け止め、一人静かに、これを反芻して、覚えて、定期テストで再現できるようにしておく。そういう作業が学習とか学びとかいうものの指すものと受け止めています。

その結果、覚えたり再現したり、その内容を要望に応じて加工したりということが、勉強のできる人間のイメージとして定着して、それが当然のものとなっています。

しかし、そこで登場した生成AI。このような作業が得意で、人間よりも遥かに多くの情報を取り扱いながら、必要な加工を瞬時に行ってくれます。つまりは、この部分で人間の仕事の優位性とか必要性はかなり無くなっていくと想像すべきと思います。

それからもう一つ、講義形式の授業では、その内容は、教科書や先生の作成した講義案が元になっており、今日の激しく変化する新しい情報は、先生が補足した範囲でしか学べず、いつまでも古い内容を継承することになります。

講義に大人しく参加して、ちょっと古い内容を、反復継続して覚えて、テストで再現する。そういう学校は、変わらなければ、これからの時代を生きる人間を輩出できないと思います。

変わらなければ。



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