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相性△な本との事。

たまに途中で読むのをやめてしまう本がある。

聴いている音楽を最後まで聴き切るために会社前で時間調整するような性分なので、読書に相性ってあるよね、と実感する。

アンネの日記もクラゲ図鑑も、またね、と途中で返しました。

先日、この小説面白いらしいよ、と紹介していただいたものを早速図書館で予約した。

すごい人気らしいのだ。
長編続きものようで、3巻は既に予約が30近く入っており、人気だぁああ〜どうしよ3巻いつ借りれるんだろ……と先の心配をしたもんだった。

が、それも要らぬ心配となる。

今でこそ図書館に行っているが、ほとんど読書をしていない時代がある。
大学時代とかはほんとそうで、実践にいそしんだ日々だった。


今と同じくらいのペースでそこそこ本を読んでた小さい頃は、物語に出てきたもも色棒付きキャンディの想像で口と手がベトベトになった。
向こう側が少し透けて見えるのかなぁ…やっぱり桃の味なのかなぁ…とか想像をたのしんだ。ペロちゃんのキャンディーみたいなのを思い浮かべた。


そのあと、読書に相性ってあるんだって認識したのはおそらくハリーポッターの登場のとき。

どうにもこうにも話が頭に入ってこず途中から、なんか…どうでもいいかも…と本を閉じた。
私は射手座だが、ハリーポッターはたぶん乙女座だ。


ハリーポッターが日本上陸したときの熱はすんごかったですよね。本が売り切れたりしてさ、たまごっちみたいに。
学校には、あの分厚い魔法の書みたいな本が素晴らしいんだと語る人が続出した。
私は教科書なら上手に読めるのに悔しい、と思った。

今回、借りた長編小説を開いたとき、嫌な予感がした。
物語に入る前に、登場人物の解説があったからです。たぶん、こちらの小説はO型…かな?O型の男性とはお付き合いしたことがないので。

そうして数ページで私は脱落した。
ワクチン接種の副反応に苦しんでたせいもあるかもなので、返却期限までにもう一度トライする気ではあります。

せっかくなので、少し考えてみた。


今のところ、この“読めない”は、“固有名詞の多さ”が原因の一つだと分析している。


場所なのか人なのか呪文なのか誰が誰なのか分からなくなる固有名詞につまずいたハリーポッター。カタカナだし。
今回の小説も、ぐりとぐら、イシシとノシシとかそういうレベルを超えた、えっと…誰が誰?どこがどこ?となりそうな予感がした。

あと、どちらも海外のものを翻訳している、というのもあるかも、と。
のってたリズムから不意に外されて、その予想外の転調はいい裏切りというより、私を現実に引き戻すもので。それで前戻り読み直したりするハメになる。
グズだなぁ…とか、そういう自分の中の独り言がうるさくなり、読書どころではなくなってゆく。

だいたいできないことがあると、自分の努力足らずだとクシュンとなり、全てのことをできるようになりたいと思っていた節があります。相性の悪い男性とも長く付き合おうと努力したり。
ここ最近は、別に誰も悪くないよね、と思えるようになりましたけど。

なんで私にわかるように話してくれないの!なんて思ったことも、何度もありました。

そういうのが、合う合わないなんだろうなぁと。

合わないけれど知りたいと努力した先に何か違うものが見えるのかもしれないですね。
それは、もも色棒付きキャンディー越しに透けて見える桃色のゆらゆらした世界かもしれないね。

ああ手がベトベトしてきた。


・・・・おしまい・・・・

おまけ。

本相手だと一方的に閉じたり開いたりできるので有難いですが、それがまた少し自分本位すぎるかなぁと思ったりなんだりして…ごめん、となる。

今度ハリーポッター借りてみよ。

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