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アメリカ再訪

プロトタイプの掌編を書いてから、8年ものあいだ書き上げたと思っては書き直している『アメリカ』という小説がある。

何人かの限られた親しい人にだけ、そのいずれかのバージョンを押し付けるようにして読んでもらい、困惑と気遣いの入り混じった感想をもらっては少しの間満足して、それからまた何かの強迫観念に駆られるようにして書き直しを始める。
途中で止めることもあれば、一応最後まで書き上げることもあって、英字でAmericaと名付けられたフォルダの中には最初の掌編も併せると8つのバージョンのドキュメントが保存されていて、一見しただけではどれがどのバージョンなのか見分けがつかない。

それでも、いずれのバージョンにおいても物語のおおまかな内容は変わらない。
頭の中を整理するためにも以下に簡単なあらすじを書いてみる。

物語は池袋の路上で始まる。ブラック企業で働く6人の若者が、この上なくブラック企業的な飲み会からようやく解放され、始発までの時間をどのように過ごすかを話し合っている。
語り手はその会話を聞きながら路上に嘔吐している。酒に弱い語り手は物語の始まりから終わりまでほとんど常に嘔吐していて、嘔吐と嘔吐のあいだの朧な意識の上を、ぼったくりバーや脱法ドラッグやDV疑惑や海の思い出や反社会勢力と思しき人々や二人組のサクラの女たちが通り過ぎていく。
語り手はほぼ常に嘔吐しているので、時々回想や他の登場人物の語りが挿入されるものの、物語のほとんどが男子トイレの中で進行する。

8年も経つと、一体誰に何が伝えたくて最初に筆を取ったのかもうまるで思い出せない。
ただ骨子となる一晩の出来事は筆者の実際の体験をもとにしていて、その頃20代前半だったわたしは、この夜のことをいつか小説にしようと心に誓ったことだけは覚えている。

自らに立てる誓いは呪いに似ている。

登場人物のほとんどが実在する人物で、そのうちの二人とはその頃とても親しくしていた。一人はいまでもたまに連絡を取り合うが、もう一人は何年も前から音信不通だ。

小説は特定の誰かに宛てて書くべきだ、というようなことをカート・ヴォネガットがスラップスティックの序文で書いていたように思う。もしかしたら全く逆の意味のことを彼は言っていたのかもしれないし、自信がないが、そういうことにしておこうと思う。

だから多分もう会えない人に宛てて、もう一度だけこの小説を書き直してみようと思う。
おそらく、長くて、奇妙で、読みにくい手紙になると思うし、そうなってくれたらいいなと思う。


最後に、去年、アニメーション広告制作のPRとして作った、架空の書籍としての『アメリカ』のプロモーションビデオを貼っておこうと思う。
まだ完成していない小説のプロモーション映像は本邦初なのではと個人的に胸をはっている。

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