見出し画像

Mita_Yonda_13 『ブレードランナー2049』

「おまえたち人間には信じられないようなものを私は見てきた。オリオン座の近くで燃える宇宙戦艦。タンホイザー・ゲートの近くで暗闇に瞬くCビーム、そんな思い出も時間と共にやがて消える。雨の中の涙のように。死ぬ時が来た。」
(原文:I’ve seen things you people wouldn’t believe. Attack ships on fire off the shoulder of Orion. I watched C-beams glitter in the dark near the Tannhäuser Gate. All those moments will be lost in time, like tears in rain. Time to die.)

父親に腹部大動脈瘤が見つかったと母親が言って、死んじゃったらどうしようと彼女は続けた。
両親は長い結婚生活の果てに寝室を別にしていて、病が明るみになってからというもの母親は毎朝、もしかしたら死んじゃってるかもと思いながら父親の寝室を確認しに行くのだそうだ。
すると父親は得意そうに、死んだふりをしてやるんだ。と顔をしわくちゃにしながら笑う。

わたしは両親の正確な年齢を覚えていない。誕生日さえ覚えていない。
あまり興味がないから、というのは虚勢ではないが(わたしは非常に薄情な人間として知られている)本当はふたりの年齢を知って、彼らの老いを突きつけられるのが怖いからなのだと思う。

父親は写真家で、狩猟免許を持っていて、薪割りが得意で、山が好きなようだ。犬を三匹も飼っていて、修理を頼まれたバイクをなおしては乗り回し、台風が来ると母を連れてダムを見に行く。
母親はおしゃべりで、明るくてタフで、最近棕櫚の葉で籠を編むアーティストになった。母親には母親が二人いて、母親は本当の父親の事を知らない。

わたし自身が離婚を経験したこともあり、気の遠くなるような年月連れ添っている二人を普通に尊敬しているが、二人は自分自身とお互いの事(それはもはや分かち難いひとつの事柄なのかもしれないが)に夢中で、世間一般の親に比べて、こどもたちのことにはあまり興味がないのではないかと思うことがある。

母親は毎年わたしの誕生日の前後二、三日くらいの間をめがけてアバウトにおめでとうの電話をかけてくるし、父親もわたしがまだ20代かのようにわたしを扱う。

しばらく近くに住もうかと思う。と電話で告げると、母親はどこかに行く際の足が増えると言って喜び、父親はお前みたいな仕事は、若いうちは都会にいなきゃダメだと言った。

見つからなきゃわかんなかったんだから、と父は言い、
今みたいに動けなくなるから手術は嫌なんだって、と母は言った。
わたしはなんと言えばいいのかわからない。

わたしは今の家は家賃が高いし、せっかくどこでもできる仕事だから、しばらく家賃の安いところに住んで生活を立て直したいと言って押し切った。

本当は、オリオン座の近くで燃える宇宙戦艦、タンホイザー・ゲートの近くで暗闇に瞬くCビーム、そういう全てが消えてしまうのがとてもおそろしい。
死ぬまではピンピンしてる病気だから、心配するなと父は言う。
なんじゃそりゃとわたしは思う。

『ブレードランナー』がロイのセリフにあるように忘却についての物語だとしたら、『ブレードランナー2049』は受け継ぐことについての物語だろう。そして親子の物語でもある。望むと望むまいとに関わらず、Kやその他の無数のレプリカントはデッカードの娘の記憶を受け継ぎ、絶望の中で目を覚ます。あの物語での唯一の救いは、彼の一番良い記憶が、他の誰かにも引き継がれていることだとわたしは思う。

わたしは誰かの記憶を他のだれかに引き継げるだろうか。あまり自信はない。
素直にそう伝えたなら、父はおそらく、なんじゃそりゃと言うにちがいない。

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?