【腹膜偽粘液腫】5.新宿か岸和田か?

腹膜偽粘液腫の腫瘍発見から病名の発覚まで書いたので、ここで閑話。

新宿か岸和田か?

ここで言う新宿とは、国立国際医療センター病院のこと。岸和田とは、岸和田徳洲会病院のことを指します。それぞれ専門医がいて、とくに岸和田の先生はHIPECの普及にあたり、世界的に有名? のようです。(書くに当たって再度ホームページの説明を読んでるんですが、PSMOIの権威がどの程度かわからないのでクエスチョンマーク。申し訳ない)腹膜播種センターという形で包括的な治療も受けられるのもメリットの一つですかね。
地理的に考えれば、東日本なら新宿、西日本なら岸和田だと思うんですが、ブログ探すと東でも岸和田選択する人いらっしゃいます。
推測ですが、一因には新宿だとセカオピが初診窓口になっていて、初診2万円かかる+週一しか行われないので、先生に会うまでに1〜2ヶ月近く待つんですよね。そのタイムロスが怖い人は岸和田行くんではないかなと思います。とくに腹膜偽粘液腫は病名確定してから専門医受診するパターンが多いと思うのですが、ここで高度異型だったり、腹膜播種の状態に進んでいれば進行が速い可能性もゼロではなく、わりと焦らされます。
がん患者の1ヶ月って、気持ち的には長いんですよね。とくに、がん告知されてから最初の1ヶ月は記憶に残らないほどの焦りと不安であっという間に過ぎてしまった感覚です。原発(虫垂もしくは卵巣)切って病名確定し、セカオピ行く方も多いので、その場合はほんとに告知されたばかりで1ヶ月も待てない! みたいなハイテンション時期に当たるのではないかな?
原発切って時間稼いでいるなら1ヶ月くらいは待ってもいいんじゃないかな〜! と思ったりもします。素人考えですけど。

私が大阪行きを決めなかった理由

ではなぜ、1ヶ月も待たされると分かっていても私は大阪に行かなかったのか。いくつかあるけど、大きいものは以下の4点。

  • 自分の子供が乳幼児なので、長期間不在になると旦那に負担が大きい
    (旦那の負担が大きい=収入に影響が出る=手術費用の負担がさらに大きくなる(ちなみに住宅ローンもある))

  • 治療にかかる期間がわからないため、どれだけ移動費用&時間がかかるのか分からず、術後経過観察となった際に移動が大変=仕事に影響が出る

  • 病名発覚までに2ヶ月かかっており、1ヶ月ちょっと待つくらいどうでもよかった

  • 大阪にいい思い出がない

最後に身もふたもない理由出しましたが、人間気持ちは大切ですからね。
子供は結構ウェイト大きいです。腹膜偽粘液腫は発覚するのが5〜60代に多いそうですが、そのころなら子供も中学生になっていたはずで、ネックにはならなかったかな。順当に老後資金なり貯めている状況を想定すれば、仕事さえ調整つけばいいわけですからね。
闘病記見る方の何が気にしてるって、やはり治療にかかる期間(時間)ではないでしょうか? 腹膜偽粘液腫はHIPEC後、人によっては抗がん剤治療も併用しますから、ある程度治療期間を覚悟する必要があります。
また、HIPECも100%根治させる術式ではなく、そもそもがんは再発の可能性も付き合っていく必要のある病気です。経過観察(3〜6ヶ月に一度)ではCTと血液検査を行いますが、1日で検査+診察するとなると、待ち時間もそれ相応にあります。(私の通う新宿では、9時に造影入って11時過ぎに診察できれば早いなって感じます。13〜14時ぐらいまで待つこともある)
まず最初の目標となる術後5年間(寛解)だけでも、半年に一回の経過観察で10回は確実に大阪行く場合、確実に時間とお金(新幹線だけで30万以上)が飛びます。
さらに私の場合、65で死んだとしても30年間、腹膜偽粘液腫の再発が疑われたら大阪の病院に行くことになる。

さ、さんじゅうねん……(ドン引き)

地縁があれば難しくないかもしれません。しかし私には地縁も一切なく、20代のほろ苦い思い出しかない。
あと、国立国際センター病院は私の大叔母ががん治療でお世話になっていたし、自宅や実家からの交通アクセスも悪くないんですね。(電車とバスで1時間以上かかりますが、うまくいけば乗り換えほぼなしで新宿までいける環境。そこからバス)
今1ヶ月消費してしまうけど、大阪行きすることで背負う金銭や時間的な負担をふまえた場合、国立国際医療センター病院に行く方がベストだなと決めました。今はこの選択に納得してますし、不安は一切ありません

待つと決めた時の精神面

そういうわけで、大きく四つの理由で待つことにしたわけですが、思ったほど焦りや不安がこの期間に増幅される! ということはありませんでした。
とにかくがんに対して恐怖心が一番強かった、焦りがあったのは告知を受けてから最初の1〜2ヶ月だったと記憶してます。この時期を私は「病名を見つけるまで」に費やしていたので、セカオピのためにまつ1〜2ヶ月がもうたいして苦痛ではなかったというか、若干「ここまで来たら進行してたら進行してるし、急変したらその時だ」ぐらいの感覚になってました。実際は病気の進行の方がかなりゆっくりだったので、急変もなにもなくセカオピの日を迎え、なんなら原発摘出の手術は告知から半年後というのろのろ進行。こればかりはがんの性格に依存するので、誰もが私みたいにノロマであるわけではありませんが、低異型だとこういう人もいるのよと思ってもらえれば幸いです。

あとこれは大きな声で言いにくいですが、ニュースで散々徳洲会事件を見まくった(性的暴行、贈収賄、選挙法違反など)ので、どんなに善良な医師が勤めているとわかっていても看板が信用ならねぇ……! という気持ちも若干ありました。
患者会などは岸和田の関係者の方が多い? ようなので、地縁がそちらにある方は岸和田は心強いと思います。病名発覚から1年経ちますが、いまだに患者会は入ってないです。オンラインイベントとか、興味がないわけではないんですけど、なんとなーく入らないまま、主治医からの情報で満足しちゃった状態です。

セカンドオピニオン外来までに行なった準備

さて、岸和田新宿どちらでもいいと思うよ! 私は新宿にした! という話だけではなんなので、セカオピ外来までの準備内容を紹介します。

基本的には情報収集と、家族や職場との相談ですね。情報収集は基本的に患者の会の内容読んだり、国立国際センター病院の先生のインタビュー記事を読んだり、闘病記読んだりしました。
家族とは主に ①手術費用の問題 ②子供の問題 ③仕事を続けていくか ④誰まで伝えるかを確認しあいました。話し合いというか、お金はどうにかするしかないし、子供は旦那メインでいざとなれば義実家。仕事は主治医から禁止されなければ続けたいし、変な人には伝えたくないという、私の意思表示なのですが。

旦那とはここである程度認識のすり合わせができたと思います。セカオピ前は、いつどんな治療をするのかわからなかったので、事前に旦那の職場の上司に ①妻ががんになったこと ②子供がいるので、いざという時は子供のために何ヶ月か休む可能性があること を伝えておきました。
そのおかげなのか? 原発摘出で1週間休むときはすんなりと話が進みました。子供については最悪異動して勤務時間を平均的なサラリーマンにせざるを得ないこと、その場合の金銭的なリスクを確認しました。それに備えて、第一子の大学学資に関する話を、FPさんに相談して保険入るなどなど。旦那は一応クリアな体なのですが、ある意味私が先に死んで旦那も何かあった時、子供に遺せるものは金しかないですからね。思い出に残るほど長生きできるかわからなかったので、とりあえずひとりで子供を育てる旦那が、金銭的な不安だけはないよう、自分に欠けてる保険のこととかも説明しました。
たぶん今はもう覚えてない(笑)
仕事はこの段階ではやめるか辞めないか決めかねてて、主治医に聞こうか! って決めてましたね。セカオピ前も後も、血のつながった親兄弟のみに伝えて、義実家や兄弟の配偶者には伝えませんでした。気を遣われたくなくてそうしたんですけど、たぶんこれは私の場合は正解でした。

次回はとうとうセカオピの話。セカオピとその後の治療スケジュールがどんな感じで進んだのかをざっくりとご紹介。

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