見出し画像

ゴジラの記憶 #16 「ゴジラ」(1984年)

「平成ゴジラシリーズ」第1作。とは言え、この映画自体は昭和の時代に作られたもの。でもこれは、実を言うとリアルタイムで劇場では観てなく、何年か後にテレビで観ている。当時は、そのうち観に行こう観に行こうと思っているうちに、「今度のゴジラは地味」とかいう観た人からの評判も耳に入り、「どうしよっかなぁ」とか思っているうちに上映が終わったんだった。

大体、この年の正月映画、つまり85年の正月映画は「ゴジラ」「ゴーストバスターズ」「グレムリン」の「3G対決」だとか言って煽るだけ煽っていた。つまりハリウッドの大作とタメを張っていたわけで、そうした意味では3作の中で一番地味、というか真面目に作られていたと思う。その所為か興行収入も3作の中では一番地味。まあ、でもシリーズ化するぐらいだから元は取れていたのだろうけど、当時は、映画を観に行くこと=洋画を観に行くことのような時代なわけで、デートで「ゴーストバスターズ」観に行こうはあっても「ゴジラ」観に行こうは中々ないよなあ。そういう、邦画にとって非常にきびしい時代に、ゴジラは復活したのであった。

この映画、同じ小林桂樹がでているせいか、全体的に「日本沈没」臭が濃厚に漂ってくる。考えてみれば橋本幸治監督も「日本沈没」に助監督で入っているし、お馴染みの竹内均先生もアドバイザー的な役割で名を連ねているし、このあたりは意識していたのかもしれない。つまり、1984年の社会にゴジラが現れたらどうなるか、というシミュレーション。これに特化していれば、もしかしたら「シン・ゴジラ」の先駆けみたいな映画になったのかも知れないが、やっぱりそれだけじゃあ上層部が納得してくれなかったのだろう。「スーパーX 」みたいな超兵器は出てくるし、ゴジラ好き有名芸能人のカメオ出演はあるしで(武田鉄矢の場合は当時のヒットシリーズ「刑事物語」とのコラボなんだろうけど)、何か収まりが悪い。

この、超兵器と有名人のカメオ出演はこの後の「平成ゴジラシリーズ」の伝統にもなっていくわけで、この収まりの悪さは、シリーズ終了まで続いた、と私は思う。ゴジラもこれだけ続くと、当然、各年代にファンはいらっしゃるわけで、平成シリーズがお好きな方もいらっしゃるであろう。でも、私はこの部分に関しては最後まで違和感をぬぐえなかった。このお陰で、ゴジラシリーズというものがシリアスなシミュレーションSFか、子どもを含めたファミリー向けの映画なのか、焦点がぼやけてしまったような気がするのである。ゴジラにSFを期待して行くと、いきなり登場する超兵器や敵怪獣に面食らうであろうし、ファミリー映画としては、特に子どもにとっては、シリアス&ハードな部分は難しくてよく分からなかったであろう。


でもまあ結局、このあとゴジラは東宝の屋台骨を支えていくような存在になっていく訳で、それはそれでよかったのかも知れないけど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?