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ベルリンに来たのに周りがロシア語話者ばかり〜過去にあったイタイ話④〜

ベルリンに来たのが20代初め。好奇心の塊のようなエネルギーとなんでも吸収してやろうというオープンな姿勢だったからだろう、最初の数年はそれはもういろんな人と知り合う機会があった。90年代後半のベルリンは道を歩けばおかしな人に当たる、というくらい奇妙な出会いで溢れていた。

飽きることがない代わりに、早朝から始まる語学学校に毎日通うのには無理があった。ドイツ語学習よりも、ベルリンの街角で人間観察をしている方が格段にワクワクしたからだ。最初の旅行で知り合った友人と連れ立って、当時WG(シェアアパート)のあったクロイツベルク界隈を中心に何時間もひたすら街を歩いて過ごしていた。

そういえば、まだ「難民」という言葉がそれほど使われていなかった時代に、その友人の口から「もう難民申請しちゃえばいいんだよ、生活費もらえるんだから」というようなことを冗談で聞かされたのではなかったか。その人の滞在ステータスがどうだったのか、なんていうことは考えたこともなかったが、彼の周りにはアルジェリアから来たという友人がたくさんいたので、もしかすると彼らのことを暗に言っていたのかもしれない。ちなみに友人はフランス人とアルジェリア人のミックスだった。今頃、一体どこで何をしているんだろうか。

それはそうと、「世界ふれあい街歩き」のナイトバージョンをせっせと紡ぎ出していた私が衝撃を受けたのが街角の小さなギャラリーでの出会いだった。アパートから数分離れたところにあったギャラリーでモスクワから来たという3人組が真っ白なピラミッドを建てていたのを偶然目にする。「こんな時間に一体、何をしているんだろう?」と中を覗き込んだら手招きをされた。

そして、そのままお茶を飲みながら延々と話し込んで意気投合し、気付いたらモスクワにまで足を運んでいたというわけだ。つくづく縁というのはすごいものだと思う。たったひとつの出会いが自分の世界の枠組みを大きく変えることがあるからだ。モスクワ、という街は彼らとの出会いがなければ自分の中でそれほど大きな意味合いを持つ街にはなり得なかった。やたら大きな寒そうなよくわからないシステムの違う街、というぼんやりとしたイメージから大切な友人の住むどこか魅力的で一旦懐に入ってしまうと抜けられない沼、にそれは変化した。

彼らと知り合ったことで、ベルリンに住むロシア人界隈とも繋がることになった。ベルリンに来てドイツ語を学ぼうとしているのに、周りがなぜかロシア語で溢れるようになってしまったわけだ。

ドイツ語もさっぱりだけれど、ロシア語はそれに輪をかけて何も理解できない!

というおかしな状況になり、なんとかビザ書き換え期限だった1年半以内に大学入学資格を得た私は、せっかくだからとロシア語学科を専攻することにした。これではなんのためにベルリンに来たのかわからないが、そもそも目的が「わけのわからない人がたくさん住んでいると思われるベルリンで1年くらい住んでみたい」だったので、そこから何が派生してもなんら不思議ではない。成り行きの人生というのはこんなものである。



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