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127【盲点になりがちな人材育成の王道:前編】地方在住経営コンサルタントの思索

写真は岡山駅(貨物・操車場)から発車直前の貨物列車です。勇壮な姿に思わずシャッターを押しました。
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はじめに

「どうしてシステムや設備に投資したのに利益が出ないのだろう?」

「人を採用する前の方が利益が良かったなあ。」

「人材育成は立場が人を作るから責任あるポジションを任せるときっと成長するだろう。」

こういった経営者の悩みの中にはとある共通の盲点がつきものです。

それは…

”人材育成への適切な手段とコスト”です。

地方都市における特に年商10億円規模までの中小零細企業をメインに財務コンサルティングを行っていて、事業ドメインを明確に設定していたとしても、”なんでも”やらねばならないし、応えなければならないこともあります。

それは、特にこれから潜在ニーズを私自身が感じているのは「人材育成」分野のコンサルテーションです。

私は昭和56年生まれの41歳(10月で42歳 やっと厄年を抜ける!)ですが、この数か月間のコンサル、受講した研修、学んだ日本の歴史、人生経験の中で特に年商10億円規模までの中小零細企業にはこれしかない!と呼べる人材育成手法への仮説が閃いています。おそらく低コストの手法においては最適解に近いと思います。これについて今回は鉄は熱いうちに整理し、持論を述べて行こうと思います。もし良ければ、最後までお付き合いください。

結論 教えあう風土

先に結論を述べます。結局「教えあう風土」を社内に作ることができたら最強です。業態・業種にもよりますが、OJT(on the job training)の濃さにつきると考えます。つまり、「先輩が後輩に直接指導する。」形態をどれだけ高められかに尽きると考えます。

まだまだ10人以下の組織で、経営者が現場に出ている場合は、経営者自ら手取り足取り、徹底して戦力になるまで指導しなければなりません。これが、結局のところ、理念の浸透や、(昨今とくに話題の)モラルの浸透、その企業の軸のような物事の考え方(いわゆる○○イズム)を徹底注入する、設定ゴールまでの最短距離になります。

私にとって密かな趣味は「日本史」です。高校生の頃の地歴選択は世界史で、歴史好きが高じて高校の地歴教員免許まで取得してしまいましたが、40歳を越えたあたりから、郷土の歴史や日本史に自然と惹かれていきました。灯台下暗しとはよく言ったもので、実は歴史を紐解けば、既に現代においても通用するクラシックとでもいいますか、伝統的で王道の教育手法は編み出されていることに今更ながら気付きました。

歴史的な史実と、私のバックボーンの一つでもある現代の高校野球での事例と、少しばかりではありますが、脳科学分野での事例を交えて論じたいと思います。前編と後編の2回に分けて書きます。

実例① 薩摩藩郷中(ごじゅう)教育

近世200年の範囲で日本の歴史においての大転換点はいつか?

この問いに対して、きっと多くの方が「明治維新」と「1945年の敗戦」と答えられると思います。

ひょっとしたら「今」もその大転換点かも知れません。

大政奉還・明治元年から77年後に敗戦。そしてその77年後が2022年で、昨年だったので、コロナ禍が明けて行く今も大転換と捉えるべきとの考え方もできなくはありません。

多少、パーソナルな話にはなりますが、私の両親は鹿児島県の薩摩半島の西に位置する甑島(こしきじま)列島の出身です。それもあって現在も、住まいは岡山県倉敷市ですが、本籍は鹿児島県の薩摩川内市です。やはり、鹿児島県人において南洲さん(西郷隆盛)と大久保利通は精神性の中核をなしており、我が家の床の間の掛け軸は、西郷隆盛の書のレプリカでした。

そんなバックボーンがあるので、必然的に薩摩藩が幕末と明治期に担った役割や動きには興味が湧きます。いわゆる明治維新の志士たちを盲目的に、司馬史観のようなイメージで一方的には捉えておりませんので、それだけは分かっていただきたいところです。悪しからず。

しかしながら、歴史の転換点において戊辰戦争から、征韓論に敗れての西南戦争まで、薩摩藩と薩摩藩士の活躍には目を見張るものがあります。古くは、「鬼島津」こと島津義弘の関ヶ原合戦における「敵陣突破」は有名で、薩摩隼人の武力や行動力は常軌を逸した感さえもあります。

この薩摩隼人(藩士)の底力は独特の青少年に対する教育システムにおいて形作られていたことをご存知でしょうか?

これを郷中(ごじゅう)教育と呼びます。

特徴は以下の通りです。
・指導者がいない
・先輩が後輩に教える
・学問だけでなく武術も教える
・6歳から15歳の元服までを稚児(ちご)、元服から24,5歳くらいまでを二才(にせ)、それ以上の若者を長老(おせ)と呼ぶ。
・あくまで自主性が重んじられ郷(薩摩藩の地域を最小単位に方眼目のようにエリア毎で区切った地域共同体)単位において実施される

「薩摩いろは歌」と呼ばれる経典のような和歌集にその教育における理念が示されています。

第1首:い
「いにしえの 道を聞きても 唱えても わが行ひに せずは甲斐なし」

昔の賢者の立派な教えや学問も口に唱えるだけで、実行しなければ役に立たない。実践行動が最も大事である。

島津日新斎忠良 薩摩いろは歌

この第1首を読み、私は衝撃を受けました。

朱子学から派生した陽明学における「知行合一」とほぼ同義の意味合いが一番目に記されていることに、底知れない深さを感じずにはいられません。

つまり、「知識は実践しなければ何の意味もなさない。」という原理原則を示しており、江戸時代は幕府において朱子学が主流で、理論重視だったにも関わらず、薩摩藩は日本列島の端において、独自の「超現実実践主義」に物事を捉え続けていたということでしょう。

まとめ 行動してこその知識

薩摩藩の人々は郷という地域社会の中で、帰属意識や郷土愛を家族や地域の人々と育み続け、お互い学びあい、最終的には大きく時代を動かす原動力になりました。

シンプルに言えば、濃密なコミュニケーションの連続で、ひたすら「人間力」を磨き続けたということではないかと私は考えます。

ダイヤモンドはダイヤモンドでしか磨けないように、お互いを敬い、議論し高めあう精神が現代においてもきっと必要だと考えます。なぜなら、中小零細企業は家族や地域社会に近い、小規模ないわば共同体という性格があると考えられるからです。

経営者は、自らの組織の永続を目指すのならば、人材教育から目を背けず、明確な信念をもってことに当たらなければならないのではないでしょうか。

次回は後編として、実例としてとある地方の高校野球部の事例と、脳科学のメカニズムにふれて論じて参ります。

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株式会社なかむらコンサルタンツ
代表取締役 中村徳秀

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