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ラバーの靴下と抱き鯉金太郎

 専用の潤滑剤は使わないで、ベビーパウダーを叩いた素足にラバーの靴下を履いた。
 と言っても、それはビザールファッション等で身に付けるようなものではない。
 男の人がいつも通勤で使うようなシルエットの靴下で、素材がラバーのみで出来ている。
 当然、サイズが驚く程小さいから、履く際にはそれなりの工夫がいる。
 ストッキングを履く時みたいに、全体を丸めてまとめ、爪先が入る口を広げておくなどという事は勿論だけど、ピチュピチュとラバーを引き上げそれを素肌に合わせていく時には細心の注意を払う必要がある。
 ラバーの命は密閉感というか、肌への密着感だから、余分な皺や隙間があってはいけない。
 それにこれから一日八時間以上は履き続けるつもりでいるから、よじれたままのラバーを放置しておくと、肌に負担がかかって大変な事になる。

 今日は、満足できる履き心地と仕上がりだったので、爪先の指をゆっくりと動かし、その感触と視覚を確かめる。
 私はラバー越しに見る足の指の形が好きだ。
 足の指は手のそれに比べると洗練されていないし、過酷な条件下で働き続ける割には、幼い形をしているので、その形が好きという人は少ない筈だ。
 でもそれがラバーでピッチリと包まれている姿を見るととてもユニークで、私の中では、苦労して手に入れた怪しくて素敵な「靴の爪先」の形に早変わりするのだ。
 指を動かしながら、そのよく磨かれたマスカットみたいな光沢を何時までも見つめていたかったがそうは行かない。
 これからハケンな、臨時のお仕事が待っているのだ。

 ラバーの靴下の上に履く靴は決めてある。
 ローヒールで甲が見えない大人しいデザインの革靴。
 これに細身のパンタロンを合わせると、脚を大胆に組まない限り、ラバーが大きく見えることはない。
 たかがゴムの靴下一足、ドレッシングプレジャーとしては、本業や個人的なイベントの際に用いる重装備なラバーとは雲泥の差があるけれど、これはこれで日常生活の中で使うという部分で、病みつきになる魅力を秘めている。

 人は演劇的空間では、いくらでも大胆になれるけれど、それは周囲の暗黙の認可があるからだ。
 コスプレ会場でのコスプレイヤーに不自然さはない。
 でもそれじゃ、あの淫靡な、自分自身が腐っていくような倒錯感覚は得られない。
 少なくとも私には、会社にパンティストッキングを履いて行ったり、ワイシャツの下にブラジャーを付ける男性の心理に共感が出来るし、世の中にはそういった秘められた楽しみを持つ人々が少なからず存在するだろう。

 歩く。
 ラバーは布地ではないから履いている革靴に対しての抵抗が少ない。
 靴のサイズはピッタリだから脱げる恐れはまったくないのだけれど、その抵抗の少なさが意識されて、ついつい足先の指を丸めて、靴底を掴もうとするのがおかしい。
 ヒールはカーフレイズをずっと静止状態でやってるようなものだけど、こっちは足の指でグーチョキパー運動をしてる感じ。
 まあヒールを履いて足首が細く見えたり、脹ら脛がキュッと引き締まって見えるのは不自然な動作の結果だけど、それで違うモノを得てるのは確か。

 電車に乗る。
 派遣先の所在地の加減で車が使えない。
 でも苦にはならない。電車には人間観察という楽しみがある。
 電車の振動に身を任せながら、ふと私は、自分が見られるのと私が人を観察するのとでは、どちらが確率として高いのだろうかと思ってみる。
 冷静に見て、多分、私が他人から見られる方の率が高いだろう。
 どんなに地味な格好をしても、私が周囲に放つ違和感は、人の視線を吸い寄せる筈だからだ。
 人は性的な事柄に気持ちを囚われている時、細かな性差への嗅覚が鋭くなる。
 ドラァグクィーン等は、人間のそういう傾向を逆手にとって文化を攻撃しながら文化を享受する。
 だから私の視線と相手のそれが絡み合った時、先方は「見てはいけないものを見ている自分」を暴露されたように感じてすぐに視線をそらす。
 そんな時、私は自分がラバーを履いている事をもう一度意識する。
 そしてパンタロンの裾を少しあげて、その人の注意をそこに持っていきたい衝動にかられるのだ。
 出かけに履いたラバーの靴下の裏に汗を感じ始める。
 今日は何処かで、一度、ラバーを脱いで足の汗を拭う必要があるだろうか、、。
 今日の「派遣」が、そういった趣向のお仕事なら、その汗だって有効利用というか、それを使って他人を楽しませて上げられるのに、、。
 私は、私のありとあらゆる身体の汁を嬉しそうに飲み込んでくれる男達や女達が好きだ。

 説明が一通り終わる。
 後は個々に質問を聞いてまわる。
 私にも答えられないような質問をわざとする人が必ず一人はいる。
 ちゃんと初級コースを銘打っている筈なのに、一体どういう積もりなんだろう。
 こういう人の所業は、「性癖としてのサド」よりずっと始末が悪い。
 そんな時、私は出来るだけ精一杯対応した後で、「お答え出来なくて済みません、、、。」と消え入るような声で締めくくる事にしている。
 相手の優越性を認めてやり、ついでに保護欲も刺激しておく。
 まあこれで大体は切り抜けられる、、、。

 仕事は午前中に2回、午後から3回。
 間の昼休みは、会場近くの喫茶店で軽くサンドイッチとコーヒー、、余った時間で、末端に趣味にしてる小説まがいのものを打ち込む。

歪んだ真珠に写ったものは、我がしもべ
しもべは、己の余りの醜さに顔を覆えど
銀色の光の印刻はそれを許さず、、

 本当に腐り切った文章、、。ああ、私にはまとまった時間が必要だ。
 そんなふうに結局いつもの結論に至る。
 でも会場に戻った途端、私の気持ちは既に仕事モードに切り替わっている。
 私は結構タフなのだ。

 これで今日の私の仕事はお終いだ。
 帰りがけに先方の係の人と明日の為の簡単な打ち合わせをする。
 取りあえずの契約は一週間。緊急の穴埋めなんだからこんなものだろう。
 隙間産業の更にその隙間を埋める根無し草な仕事。
 ふと、この仕事が一生続いたらと思うと悪寒が走る。
 メインの仕事だって容姿が衰えていけば続けることは難しいだろうし、、。
 狭くて静かな応接室件会議室みたいな一室だったから、やけに音が大きく聞こえた。
 痩せて四十代前半の係の男は、しきりと私の足下を気にしているようにみえた。
 ラバーの靴下にうっすらと溜まった私の汗が立てるクチュクチュという隠微な音が聞こえるのだろうか。
 でも打ち合わせは問題なく終了した。
 靴下を意識し出したのは私の方だったのだ。

 夕食はお店で済ませた。本業の方は事情があってお休み。
 今日のような普通のお仕事のメリットは、日の明るい内に帰宅出来る事だけど、その時間を自炊等に使いたくなかったからだ。
 お酒を飲みたかったけれどそれは我慢した。
 私の知り合いで、酔うと直ぐにしたがるというのか、そんな状況に自ら巻き込まれてしまうのが好きな子がいるが、私にはそれがよく理解出来ない。
 相手がいる時も、オナニーする時も、意識がはっきりしている方がいい。
 興奮の感度が全然違う。
 というより、お酒を飲んでのセックスは、なんだか相手の従属物になった感じがして嫌なのだ。

 マンションの鍵を開ける。
 いつも、帰った時の事を考えて灯りをつけて置こうと思うのだけれど、結局出かけの慌ただしさの中でそれを忘れてしまうので、部屋の中は真っ暗だ。
 実家なら愛犬のラブが真っ先に迎えに来てくれるが、ここじゃ誰もいない。
 照明をつけたあと、上がりがまちで靴をそっと脱ぐ。
 ラバーの靴下の表面が湿っている。
 我慢しきれずに、少しだけラバーの感触を試してみると、水死体の皮みたいにずるずると動いていくような気がした。
 勿論、錯覚だ。
 第一、私は水死体なんて見たことも触った事もない。
 でもその感触だけで、私は一気に欲望の扉を開けてしまった。
 私はいつからこんなヘンタイになってしまったんだろう。

 楽しみをはじめる前に、留守番電話のチェックをする。
 やっている最中に仕事の電話が入ると興ざめしてしまうからだ。
 先に片付けられる用件なら先に処理をしてしまおう。
 何も入っていない。都合がいい話だけど少し寂しい、キャリアウーマンな私。勿論、模造品のキャリアウーマンだけど。
 壁に埋め込まれたクローゼットの中から、取りあえずのラブグッズを引っ張り出す。
 真っ黒でリアルなシリコンディルドーと、これも黒色な全頭式のラバーマスク。
 アヌスプラグにローション。ベッドの上に敷く為のラバーシート。
 一番実用的なのは、ラバーシートだ。
 ベッドがローションやらその他もろもろで汚れる事を防いでくれるし、何よりも圧倒的なゴムの匂いと感触に包まれる事が出来る。
 そのシートを手早くベッドの上に敷いて、衣服を脱ぐ。
 ラバーの靴下のみを残して、全裸になりベッドの上に横たわると、ひんやりとしたラバーの感触が私を迎えてくれる。
 下腹部や局所をシートに擦り付けそのまま一気に快楽の波に乗ってしまいたいのを我慢して、ラバーマスクに頭を突っ込む。
 そこには私だけの闇がある。

 鼻が押し下げられ、唇はマスクの少ない開口部から飛び出る。
 そしてきっと私の目は吊り上がって見えている事だろう。
 ラバーマスクによって常に頭部全体にかかる圧力が私の存在感を教えてくれる。
 私はこの瞬間、「もの」に変質することで、己の存在を確かめられる。
 それは数少ない大切な瞬間なのだ。
 ラバーの臭気に包まれていると、私をラバーに目覚めさせてくれた昔の恋人の事を思い出すことがある。
 私を彼に紹介してくれたのは弟だった。
 当時の私はSF小説や映画が大好きで、弟が好むボンデージファッションやフェテッシュシーンにある程度の理解を示せたのは、その世界の延長線上に、SFの世界の近似値があったからに過ぎない。
 だから、そんな奇妙な世界の真っ直中にいる弟が紹介してくれた男性に対して、私はどこか胡散臭い思いを持っていた。
 デラシネ、不誠実なエピキュリアン。
 それを彼と別れた原因の一つとして数えれるかどうかは別にして、ともかく彼が私に教えてくれたラバーの世界は強烈だった。
 彼はラバーパンティを穿いた私の股間に顔を埋めて、その匂いを嗅ぎながら興奮した。
 しかしラバーという皮膜によって遮断されている股間にラバー以外の特別な匂いはしない筈だった。この人は、人間を愛していない?
 これは私にとってちょっとした不思議だったが、この意味はのちに理解できた。

 ラバーの虜になると、その感触を自分の五感総てで確かめ堪能したくなる。
 後に私は、自分の局所が当たる部分に鼻を近づけた時に嗅ぐ、分泌液とゴムの臭いが入り交じった臭いに、軽い興奮を憶える自分を発見するようになった。
 彼はその匂いを、私の股間に顔を埋めながら、条件反射のように頭の中で反芻し、それを使って快感への手がかりを探していたに違いない。
 私はマスクを被り終えてから、その小さな鼻孔を通じて顔に張り付いたゴムのシックリースィートを胸一杯、吸い込む。
 そしてもどかしい思いでラバーグローブを手に付け、その指先で自分の顔面に張り付いたゴムの感触をしばらく楽しんだ。
 最近ご無沙汰の太いモノを思い起こしながら、ゴムの指先でマスクの圧力で鬱血して膨れあがった自分の唇をなぞる。
 そして、淫乱に我を忘れたオンナを模して、自分の指に自分の舌を絡めてみる。
 強烈に男が欲しくなって、私はその欲望が発する光に目を焼かれない為に、頭の中の瞼を閉じた。


「チカヲちゃんなにしてんの!!」
 非難を内に含んだ強い制止の声の主は、母親なのか、それとも母親役の私なのか、、夢の作りはいつも曖昧だ。
 その母親の声掛けにも気付かず、一心に池の鯉を覗き込んでいる幼児の背中は、小さく揺れている。
 しかもこんな風に、夢を見ているのを自覚できるような浅い睡眠の中では、役割の主客はより一層あやふやだ。
 たぶん現実の私はラバーを着込んだまま眠り込んでしまっているのだろう。
 アナルプラグを下の口でくわえ込んだまま眠りこけている可能性さえあった。
 小さな石の渡り橋の上からのぞき込む池の水面には、無数の鯉の大きな口が見えた。
 水面に落ちた人影を察知して、餌を貰おうと集まってきた巨大な鯉達の口の開閉は、幼い私に奇妙な興奮を引き起こさせていた。

 ・・・こんな特別な「鯉」を何処かで見た事がある。
 そいつは水の中ではなく、人の背中に、ある人物と一緒に住んでいた。
 入れ墨だ。
 それが男の人の背中にあったのか、女の人の背中に彫られた入れ墨だったのかは定かではない。
 ともかくその人の背中で、大きな鯉とお相撲さんのような少年が抱き合っていたのだ。
 その「鯉」の顔は何処までも無表情なくせに、その貪欲さだけは、こちらに嫌と言うほど伝わって来た。
 その「鯉」は一体、なにを求めていたのだろう。
 それが幼い私の命題だった。
 やがて「鯉」は人間の腕を生やし、「少年」はその幼い手で、、、私の身体のあちこちを撫で回すようになった。
 その度に「鯉」の楕円形の口はパクパクと開き、「少年」の顔色は真っ赤になった。
 私は、今でも鱗の大きな魚に拒否反応を起こす。
 「嫌だ」と思う気持ちは、磁極の両端のように作用し、その滑りと堅さを備えた生臭い鱗に触りたい抱かれたいという思いにいつでも反転しそうだった。
 そういう意味で、「鱗は私の肌を傷つけるが、ゴムは私を守り包んでくれる。」という大人になってからの妄想上の発見は、私にとってとても重要な出来事だった筈だ。
 それでも私は、池の鯉を飽きずにのぞき込む幼児として、母親の制止も聞かず、果てしない自涜行為を夢の中で続けている。
 ・・・この夢は終わらないのだろうか、、こんなに浅い眠りの中で起こっていることなのに、、半分目覚めている意識が、もう夜明けが近いことを私に教えてくれる。
 早くこんな夢から抜け出し、私の全身を覆うラバーを脱いで、たとえ短い時間でも良質な眠りを取らなければ、、今日のコースは、次の段階にステップする重要な実技講習が含まれているのに。
 夢の中で力無くあがいている内に、ピチャピチャと何かをなめる音が足下から聞こえてきた。
 そのお陰で、夢の「重み」が軽くなっていく。
 ラブ?私は実家で飼っている中型犬を思い出したが、勿論、ここは私のマンションの一室であり、ラブがここに居るはずがない。
 それに犬は足の指先全体を包み込むようにようにして嘗めることはない。
 人間?人が眠っている私の足を舐めているの?
 瞬間、ドキッとする。
 こんな事をするのは、弟が紹介してくれた「彼」か、クラブの顧客ぐらいのものだからだ。
 その内の誰かが、私の部屋に侵入してる?
 皮膚感覚という「覚醒」に近い領域の感覚を夢の中で味わいながら、私はあることに気付いた。
 ラバーの靴下の上から、私のつま先をなめるその行為は、紛れもなく愛撫の一種だった。
 このじらされるようなもどかしい感触は何度か味わった事がある。
 相手が私に「奉仕」しているのだ。
 だとするならこの侵入者は、当面の間、私を傷つける意志を持たないのだろう。
 私は恐る恐る薄目を開けて、ラバーの靴下を味わっている存在の姿を確かめようとした。
 ベッドの端にある闇が凝縮して、人の上半身を形作り始める。
「あなたは誰?」
 私の問いかけに、それは私のラバーの靴下から口をはなした。

 そして次の瞬間、それは楕円形の丸い口をポッカリ開けたのだった。



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