血友病vs川崎病vsダークライ 1日目

前日譚はこちら


熱が出てから3回の夜を超え、朝起きると旦那さんがたんたのオムツを取り換えているところだった。「37.7℃だよ!」と言うので、また少し落ち着いたか〜とほっとして抱き上げると、いやあ、まだ全然熱い。もう一度測ったら、38.5℃だった。どうやらちゃんと挟めていなかったらしい。
ぬか喜びさせたと旦那さんはしょんぼりしていたけれど、自分と同じように子供を心配し、何も言わなくても熱を測るような人がパートナーであることがじんわり嬉しく、誇らしく思ったりした。

かかりつけの小児科は10時に予約してあり、電話で確認すると1度検査をしていても発熱の動線で…と説明があったのでそれに従って受診した。いつも予約時間ギリギリで駆け込むのに(ごめんなさい)、15分前に到着してしまい、これは相当心配しているんだなと自分のことをどこか客観的に感じた。

順番がくると、先生は「(熱が)下がらないか、」と首を捻って、すぐにたんたをベッドへ寝かせるよう指示した。こちらが何か伝える前に、昨日までの“なんか気になる症状”を次々と診て、質問を投げかけてくださる。
今にして思うと、3ヶ月児の熱+発疹の時点で先生は川崎病を視野に入れていたのだと思う。最初の受診で具体的な病名を出さなかったのは、どうせ数日過ぎないと判断できない病気の可能性を提示しても、徒に不安を煽るだけだからだろう。

結論として、症状は揃っていないが、川崎病疑いで大きな病院で検査が必要ということになった。


***

ここで川崎病について簡単に確認しておく。
川崎病は、血管に炎症が起きる病気である。乳幼児に多く見られるが、はっきりした原因は不明であり、6つの特徴的な症状のうち5つが当てはまると診断される。

川崎病の診断基準となる症状(2024年現在)
①発熱
②目の充血(白目の部分が赤くなる)
③唇の赤み、いちご舌(舌の赤いブツブツ)
④発疹、はんこ注射の痕の赤み
⑤手の赤み、むくみ
⑥首のリンパ節の腫れ


川崎病
https://www.ncchd.go.jp/hospital/sickness/children/030.html

***

前日まででたんたは上から4つの症状があり、診断にリーチがかかっていた。

血管の炎症ということで、血友病の方も気にしながらの治療が考えられたため、定期通院している大きな小児の専門病院に繋いでいただくことになった。しかし、川崎病と血友病では診療科も異なるためか、すんなりとはいかなかった。他の患者さんの診察の合間に、先生や看護師さんが何度も電話をかけたりかけ直してもらったりを繰り返し(担当者が変わる度に病状経過の説明も一からになっている様子で、やきもきした)、30分ほど経ってようやく救急外来への受診が決まった。入院の可能性が高いので心づもりをするよう告げられ、先生はいつもの調子で「お大事に」と言った。

速やかに作られた紹介状を看護師さんが発熱者患者用の部屋に持ってきてくれ、かかりつけでの診療が終わった。救急が混みあっているので、12時を目安に来て、救急外来用の駐車場の守衛に名前を伝えるように、とのことだった。しかし、この時点で既に11時、病院までは小一時間かかるので家に寄っている時間はなかった。たんたに授乳している時間もなかった。もうお腹が空いて泣いてもおかしくないくらいだったが、車に乗せても特にぐずる様子はなく、これから待ち受ける治療について何も知らないたんたはちょっとキラキラした目で窓の外を眺めていた。




色んなことを考えて動揺していたが、事故らないようにだけは気をつけて運転した。途中、保育園に電話をし、今の状況とお迎えが遅れるかもしれないことを説明。しばらく入院になるかもしれないと聞いた担任外の先生が、「あらヤダ大変!!!ママ大丈夫!?!?気をつけて!!!!!」と何だかとっても大きなリアクションをしてくれたので、こちらは逆に落ち着いて、延長料金についてまで確認できてしまった。

坂本真綾の音楽に励まされながら、無事に病院に到着した。ところが、言われた通りの駐車場に来たのに、予約が入っていないので電話確認しろと言われ、入口で止められてしまった。抑えていた感情が腹の辺りでぐわーんと揺れるのを感じた。は?こっちは死ぬ可能性もある病気の子ども乗せてんだが?
ぐっと堪え、今の私は、些細なことで情緒が振り切れてしまうんだ、と言い聞かせて深呼吸をした。普段なら「あーハイ了解です」で済みそうなことでも、声を粗げて言い募ってしまいそうだった。なけなしの理性と、事の早さを優先したい気持ちが上回り、涙目で電話をかけた。迅速に対応され、駐車場には3分後には入ることができた。

気持ちがはやり、たんたを抱っこ紐に入れるいつもの動作すらもたもたしてしまう。

建物に入ってからの流れはスムーズで、紹介状を渡しながらそのまま診察室に通され、まず救急専門の看護師さんが親の話からここまでの病状の変化を確認・記録した。続いて担当の先生が現れ、たんたの容態を診察した。すると、このタイミングで5つ目の症状である手の赤み、むくみが始まっていた。朝は何ともなかった両手のひらが、赤くつやつやしている。条件が揃い、ここで正式に川崎病の診断が下ることとなった。
そこからはざーっと治療や入院の説明がされ、あっという間に点滴や採血の準備のため親は部屋を出されてしまった。よろしくお願いします、と言った後に思い出す、やばい、おっぱいあげてない!部屋から響いてくる泣き声、検査の諸々だけでなく、空腹にも耐えなけれならなくなったたんたであった。

待合室で入院にかかる同意書やら誓約書やらの束を渡され、ひたすらボールペンを動かしている内に、急に現実感が背中を這い上がってきて少し泣いた。
まず、この病院は付き添い入院には対応しておらず、夜は完全に預けなければならない。新生児以来ミルクを飲んでいないたんた、哺乳瓶でいけるのか?私がギリギリまで面会にいるとして、わたまめの保育園はどうする?週末にはまめこの誕生日もある、お祝いできるのかな。いや、それよりも何よりも、たんたの具合は良くなるのだろうか?後遺症は?川崎病の致死率は0.3%、そう聞けば一般的には「滅多に死なない」と感じるだろうが、私たちにとってこの数字は―――この世に血友病で産まれてくるよりずっと高い確率なのだ。

頭が回らず、書類が一向に進まないでいる私を、カウンターの向こうに座る受付の方が心配そうに見ていた。
そこでふと、診察室に入る前の通路に、「絶対救命」と太いマジックで書かれた紙が貼ってあったのが頭をよぎった。目に焼き付いて離れない、信念を感じる字だった。

大丈夫だ。人事を尽くして天命を待とう。

ほどなくして先程の部屋に呼び戻された。大いに泣いた痕跡のあるたたんたを抱え、看護師さんに連れられて病棟へ上がった。

部屋に入ると、ようやく授乳が許された。6時間近く経ってしまっていたので、必死になって飲むたんた。オムツも臭ってきて、今、この命が生きていることに感謝した。



少しして、免疫グロブリンの投与が始まった。
※免疫グロブリン製剤とは
https://www.jbpo.or.jp/kd/immunoglobulin01.html

つまりは、炎症を抑えるのに必要な成分のみを抽出した輸血である。「輸血」と聞くと、怪我や手術などで足りない血液を補うイメージが強いが、実際には血液中に起きた何らかの異常や欠損を治療する薬の精製に使われることも多いのだ。

***

ここで血友病の説明もしておこう。

血友病は、血液中の「凝固因子」とよばれる、「出血した時に血を固める成分」が少ない、あるいはほとんど作られない病気である。
遺伝子異常を原因とし、遺伝性のある病気だが、突然変異で起きることもある(うちは遺伝である)。
治療は、血液中に凝固因子を入れる、あるいはそれに代わる成分の薬を注射する補充療法が主流であるが、最近の研究では遺伝子治療により根治する可能性もでてきた。
種類など色々あるがここでは割愛。

まとめると、怪我をしても血が止まりにくく、特に頭の中など見えないところで出血が起きると非常にまずい病気だ。50年前は10歳まで生きることも難しいと言われていたが、現代では注射さえしておけば一般的な生活が送れるようになった。
たんたは生まれつき血友病であるが、動き回ることもないねんね期の赤ちゃんが出血するリスクはほぼないので、まだ補充療法を始める前だった。

***


血友病の歴史における「薬害エイズ」を知っている人間にとって、「血液製剤」への抵抗感は強いものがあった。
※薬害エイズとは
https://kyusai.acc.go.jp/about_us/003.html

ヒトの血液から作られている以上、この薬を使うことによって何か別な病気にかかる可能性は、どれだけ検査を徹底してもゼロになるものではないが、現在は限りなく低くなっているとの説明だった。ともかく、川崎病の治療にグロブリンを用いないという選択肢はないに等しかった。

また、免疫グロブリンの点滴と同時に、アスピリンの内服を始めるのが一般的なのだが、ここでひとつ問題があった。
※アスピリンとは

アスピリンは、炎症を抑えつつ、血栓の発生を防いでくれる大事なお薬だ。川崎病の最も怖い症状である冠動脈瘤が発生した場合、血栓のできやすさは命に関わる。しかし、血栓を防ぐ=血小板の働きを抑え、血管内で血液が固まるのを防ぐということ。すなわち、アスピリンを服用すると、血友病元々固まりづらい血がさらにサラサラになってしまうのである。これはまずいと血友病の方の主治医からストップがかかり、一旦アスピリンの代替となるフロベン(抗炎症のお薬)を内服することになったと、担当医から説明された。

やや遅れてやってきた血友病主治医は、病室に入って一言目に「川崎病とは運が悪かったねぇ〜」と、眉を下げながらたんたに話しかけた。かかりつけ医とは真逆で、常に明るい話し方をする人だ。
「お母さん、大変でしたね。まあでもうちなら、川崎病の治療も一流なので安心してくださいね」
とサラッと言った。労いの言葉をかけてもらったのは車で通話した保育園の先生ぶりだが、それがやけに遠い昔のことに思え、この2時間ほど自分がずっと緊張していたのだと思い知らされた。ありがたかった。

それから、アスピリンの投与はとりあえず避けたけれども、今後は効果を考えるとどうしても使用したいということ。それに伴って出血のリスクを下げるため、生後10ヶ月程度から開始予定としていた血友病の薬であるヘムライブラを、前倒しで始めようという旨を説明され、了承した。


動かした時に点滴が抜けないよう、たんたの左腕は点滴ポートごとギプスのような板に固定されていた。その他にも尿検査用のパック、酸素濃度の測定器、心拍の電極と、とにかく色々と繋がれてしまった。それでも、小さな身体は確かなエネルギーを放って見え、まるで周りの機械を動かしているどっしりとした電池のようだった。

最初の2時間ほどは、30分ごとに看護師さんが体温と血圧を測り、点滴の漏れなどを点検するので、満腹と泣き疲れでうとうとしていたたんたは度々起こされてご立腹だった。
途中で尿検査のパックが最初に取り外され、元気になるごとに1つずつ自由になっていくであろうたんたを想像し、少し気持ちが回復した。

そうこうしている間に看護師さんは夜勤の担当の方に替わり、書いたり目を通したりしなければならない書類に追われ、たくさんの管により難易度が上がった授乳をこなし、気づくと外はもう暗かった。面会は最長で23時までだったが、初日からがんばりすぎると後が持たないと言い聞かせ、後ろ髪を引かれながら20時頃病室を後にした。
夜、たんたと離れるのは、帝王切開で出産した最初の2日間以来だった。辛かった。

駐車場へ向かいながら、疲れた頭で、その日のうちに搾乳の準備を揃えたいことに思い至った。そのままにすると胸が張りそうだし、母乳は凍らせて届ければ夜間に使ってもらえる。調べると、少し足を伸ばしたところに21時まで空いている西松屋があったので、寄ることにした。
なんとか間に合って搾乳器と母乳用のフリーザーパックを購入できたが、駐車券を運転席のサンバイザーに挟んできてしまい、立体駐車場のある3Fとお店のある地下1Fを二往復する羽目になった。なるほど疲れていた。疲れてなくてもどうせよく忘れるだろって思った奴、許さねぇ、その通りだよ。

家に帰ったのは21時半前。わたまめが丁度寝室に上がるところだったので一緒にいって寝かしつけた。わたこは、2週間ほどたんたに会えないと知ってぽろぽろ泣いていたが、最後には、「私、応援する!」と頼もしく意気込んで眠りに落ちていった。
急に日常が戻ってきて、たんたを遠く離れた異世界に置いてきてしまったような感覚に囚われた。

家のことを済ませ、お風呂に入り、改めて就寝したが、疲れているのに中々寝付くことができなかった。起きたことを整理することも難しかった。たんたの熱が落ち着いて、よく眠れていることを祈るばかりだった。


2日目へ続く

***

余談だが、かかりつけの小児科の口コミには、先生が親切ではない、説明が足りない、○○(病名)を心配していたのに違うと冷たく断言された…などといった親の不満がちらほら見られる。
にわかに調べた情報を信じたり疑ったりして一喜一憂する親の気持ちは痛いほどよく分かるが、どんなに便利な世の中になっても、病名をつけられるのは医師免許を持つ医者である
もちろん医者も人間なので、中には本当に患者の病気をよくする気があるのか分からないような人もいるだろう。よく探し、信頼のおける相手か否か見極めるのは大切になってくる。そんなとき、気をつけなければならないのは、親切で人当たりが良いことと良い医者であることはイコールではないということだ。無口で腕の立つ医者もいれば、逆もいる。ニコニコして、患者に耳触りの良いことばだけを述べてくれる医者に診てもらいたければ、そうすればいい。しかし、

「優しいけど患者を死なせる医者と、嫌なやつだけど助けてくれる医者。医院長ならどっちに見てもらいたいですか?」(ドラマ「コウノドリ」より)

という質問を常に胸に留めておきたい。

両方を兼ね備えている主治医のようなスーパードクターも続々登場、お楽しみに。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?