聖徳太子は、民間から皇室に嫁いだ人の子(オリジナル新説)

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聖徳太子
この名前は称号であり、本名ではない。
本名は厩戸皇子(「うまやとのおうじ」と読む)となっている。
「となっている」というのは、これも本名ではない。
理由は、
この厩戸皇子という名前は、
母親が、厩(馬屋)の戸に体が当たると、労が無く分娩したという事
にちなんだとなっているからである。
「労が無く分娩した」なんて非科学的な事なので作り話である。
作り話にちなんだ名前なので本名ではない。

ここで問題となるのは、作り話ができた理由は何かという事である。

通説では、イエス・キリストが厩(馬屋)の前で生まれたという事の真似をして、聖徳太子を聖人と仕立て上げる為である。

しかし、
この『聖徳太子は、民間から皇室に嫁いだ人の子』では、そうではない。
中国の歴史のある事になぞらえている。(オリジナル新説)
作家の井沢元彦先生が、『逆説の日本史』の四六判の第2巻の230~243ページで、
天智天皇と天武天皇は、殷の紂王と周の武王になぞらえているという説を立てている事
にヒントを得ている。

その中国の歴史のある事とは人豚事件である。(オリジナル新説)

漢の高祖・劉邦の后が側室を人豚と扱い、厠(便所の別名)の前に置いて(中に置いたとも地下に落としたともいわれる)、人豚と呼び示した事である。

后は、側室が自分の子を次の皇帝にするようにと劉邦に頼んだ事に対する復讐で、側室の両腕両脚を切断するなどをした後に人豚と扱い厠(便所の別名)の前に置いた。
なぜ、人豚と扱う事で厠の前に置くのかを説明すると、
厠では、地下で便を餌に豚が飼われているからである。
人豚と扱い豚が飼われている厠の前に置いた。
人豚と呼び示した。

厩(馬屋)の戸に体が当たると分娩した事になっているのは・厩(馬屋)の前で分娩した事になっているのは、
豚が飼われている厠(便所の別名)の前に置いて、人豚と呼び示した事になぞらえているので、
人馬と示されている。
(オリジナル新説)

馬にたとえられている。(オリジナル新説)

馬は、どこの馬の骨ともわからないというように、賎しい身分の人のたとえである。

賎しい身分の人というのは、皇族でも貴族でもない民間の人である。

母親の名前は間人(「はしひと」と読む)という。
間人という同じ名前の人が他に孝徳天皇の后がいる。
聖徳太子の母親と孝徳天皇の后は親戚である。
古代では、親戚と同じ名前を付けるという事はしないものだから、偽名である。
間人(「はしひと」と読む)という偽名は、はしたな人という意味である。はしたというのは半端という意味である。(オリジナル新説)
出自が悪い人を半端な人とする事で付けられた偽名である。(オリジナル新説)
出自が悪いというのは、民間の人である。

孝徳天皇は、中大兄皇子に置き去りにされる。その際に、后を中大兄皇子に連れて行かれる。
孝徳天皇は、中大兄皇子の女になった間人に「かなきつけ 我が飼う駒は 引き出せず 我が飼う駒は 人見つらぬか」という歌を送っている。
大切に飼っていた馬が他人のものになってしまったという意味の歌である。
この歌は間人を馬にたとえたものである。

孝徳天皇の后の間人も馬にたとえられている。

聖徳太子が、民間から皇室に嫁いだ人の子なら、
身分差別を受けている母親を可哀想に思いながら育つだろう、
差別を悪とする、平等・対等を善とする人に育つだろう、(オリジナル新説)
氏姓にとらわれない。身分差別をしない冠位十二階の制を作った事や
「日、出ずる処の~」という対等を意識した手紙を隋の煬帝に送った事と
整合性がある。(オリジナル新説)

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