桜が二度咲く街・弘前【Bucket List06】
桜の季節である。
関東地方では桜の見頃を迎えようとしており、本格的に春への移り変わりを感じさせる気候になっている。
この週末は多くの桜の名所が人で賑わったことであろう。
ここで話は数年前にさかのぼる。
その年私は、桜の季節過ぎたら遠くの街にゆくことにしていた。
向かったのは北である。その街では毎年桜の開花を祝う祭りが行われているという。
今回は、そんなさくらまつりの弘前の様子を取り上げたい。
りんごの街
夜行バスに揺られて約10時間。
目が覚めるとそこは弘前であった。
今回の目的は桜であるが、弘前といえばリンゴの生産量日本一の街である。
駅にはりんごの風が吹き抜けていた。
リンゴを持つ男女がなぜか背中合わせに立つ謎の像だ。
他にも街中の至るところにリンゴを感じさせる。
市役所などもリンゴ推しが強い。
「りんご課」はりんごやその他果実の生産振興、販売・発信、りんご公園の管理運営、りんご産業イノベーション事業の推進などを担当しているそうだ。市役所の新館最上階に一番に割り当てられているあたり、市政におけるりんご課の重要度が伺える。
せっかくなので積極的に本場のりんごを味わっておきたいものだ。
最北の現存天守
弘前の市内には東日本で唯一の、江戸時代から現存する天守閣を遺す弘前城がある。
弘前城は、江戸幕府の成立した1603年に弘前藩主大浦為信によって築城が開始された平山城である。
1627年に落雷で天守が消失し、以後200年近く天守のない時代が続いたものの、1810年に再建された天守は明治維新の廃城令や戦火を免れ現在までその姿を残し、日本で12箇所に残る現存十二天守の一つとなっている。
三層三階建ての天守は小ぶりであるが、切妻破風と呼ばれる軒先に突き出た三角屋根が美しい。
上の写真は東・南面を映したものであるが、対照的に北・西面は破風などのない簡素な見た目となっている。
これは一説には幕府の目を欺くためとも言われている。
1627年の焼失後、長く天守が再建されない時代が続いたが、これは武家諸法度によって天守閣の建築が制限されていたからである。
1810年に天守が再建された際も、あくまで天守櫓の移築という名目で許可が出されており、あまり華美なものにしてしまうと幕府から咎めを受ける可能性があった。
そのため、二の丸から見える東・南面のみ装飾を施し、本末から見える北・西面は簡素にし、監査に来た幕府の役人を籠に乗せたまま本丸へと案内することで、飾りの少ない北西面だけを見せて役人を欺き、事なきを得たそうである。
厳しい制限の中での精一杯の抵抗の証といえるのだ。
天守の中を登ると、市内を一望、とまではいえないものの、公園の向こうに岩木山を眺めることができる。
なお、弘前城の本丸は現在、石垣の老朽化による修理に伴い、一時的に本丸内の別の場所に移設されている。工事には10年という年月を要し、写真の姿を取り戻すのは2025年を予定しているそうだ。
私が訪れた際にはギリギリ天守移設前のタイミングであったが、内濠はすでに埋め立てられてしまっていた。
逆に言えば移設された天守を見れるのは後数年だけのチャンスである。
さくらまつり
さて、本題である桜に話を戻そう。
弘前では毎年4月末~5月頭にかけて桜の開花を祝うさくらまつりが開催されており、その会場は弘前城のある弘前公園となっている。
弘前の桜の満開は例年4月27日頃とのことであるが、私が行った頃にはすでにソメイヨシノは満開を過ぎ、散り始めていた。
一方で比較的開花の遅いしだれ桜はちょうど見頃を迎えていた。
さくらまつりはゴールデンウィークと会期が重なることもあり、期間中300万人近い観光客を集める弘前の一大イベントとなっている。
公園内には露店などが立ち並び、賑わいを見せている。
せっかくなので、名物の黒こんにゃくやりんごのアイスなどを楽しみたい。
堀に咲く桜
さて、先述したように、弘前城のソメイヨシノはすでに散り始めているが、ここから弘前の桜ならではの楽しみ方が始まるのである。
弘前公園は弘前城に作られた公園であるため、弘前城の濠が残っており、濠の周囲に多くの桜の木が並ぶ。
そのため、散った桜は濠を埋め、水面をピンクに染めるのである。
|花筏《はないかだ》あるいは桜の絨毯とも呼ばれ、桜の満開日の数日後から見頃を迎える弘前公園の風物詩である。
これでは鴨も食事に一苦労だろう。
弘前城に最初に桜が植えられたのは1715年のことであると言われている。
その後時代は明治へと移り変わり、廃城となり放置されていた弘前城跡に旧弘前藩士らによって計2000本以上の桜が寄贈・植栽される。
それらの木々が大正時代に花を咲かせるようになると観桜会(後のさくらまつり)が開始され、多くの人で賑わうようになったそうである。
また弘前城の桜の美しさの維持に一役買っているのが、名産のリンゴで培われた剪定の技術であるとも言われている。
桜とリンゴは同じバラ科の植物である。
そして「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」という言葉があるように、桜の木を不用意に剪定することは病気につながるリスクが有るため、剪定を行うべきではないと言われていた。
しかし、弘前公園の中で弱ってしまっていた桜の木の枝を、実家がリンゴ農家を営んでいた管理職員が剪定したところ、なんと翌年から元気な枝を生やすようになったのである。
以後弘前公園では桜を毎年剪定し、それによって美しさに磨きをかけているそうだ。
夜の弘前公園
さくらまつりの最中は夜間にライトアップも行われる。
アンコウやサメといった珍味を味わいながら夜になるのを待って、再度弘前公園へと向かう。
夜の公園では園内の桜がライトアップされ、昼間とはまた違った雅さを見せてくれていた。
特に西濠からのライトアップが見事ではあるのだが、流石に見頃を過ぎてしまっていたのが残念だ。
日本全国どこの地域にも桜の名所というものは存在するであろう。
なので、少し足を伸ばせば十分に美しい桜を堪能することはできるだろうが、あえて桜前線を追いかけていつもより遠く北へと足を運ぶことで、満開に敷き詰められた桜を見下ろす新たな体験に出会えるかもしれない。
最後までご覧いただきありがとうございました。
次回は城塞都市について取り上げられればと思います。
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