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険悪家族の姿はどこへ?忘れられない「対話」の日

1年前、わたしたち家族の関係を劇的に変えた「家族会議」がありました。この記事は、そんなある日の話し合いを基点にした、私たち家族のチャレンジの記録です。

ヒリヒリすることも書いたのに、「もしかして誰かの役に立ったりするなら、このまま公開していいよ」と言ってくれた家族に心から感謝します。💝


超 仲が悪い両親

私が育った家の家族は、父、母、妹、わたしの4人です。

私たち姉妹は、仕事をめちゃくちゃ頑張る両親に育てられ、経済的な苦労もほぼすることなくこども時代を過ごさせてもらいました。
小さい頃は、夏は自宅の庭でミニプール遊びに興じたり、冬は雪で小さい坂を作ってそり遊びをしたり。大きくなってからは、部活の用事に一緒に奔走してもらったり。いまでも思い出すのは楽しい思い出ばかりです。

そんな我が家だけど、両親だけはずっと仲が悪く。「なんで」と聞かれても理由の全部は分からないけれど、大事そうに聞こえることから細かい指摘に聞こえることまで母が父に怒っている画と、父が母の話をまともに聞かずにいる画は記憶にある気がします。
一方で「父と母が、二人でにこにこ笑って話す」シーンの記憶はありません。(実家を出てから居候させてもらったおうちで、夫婦が笑って話をしているのに衝撃を受けた自分に衝撃でした。)

まして「二人で出かける」なんてありえない。いつも家では喧嘩ばかりで、幼いころの私は、母の話を全然聞かない父のことが内心ずっと好きになれないでいました。

私が小学校高学年くらいになると、妹と「今日は家族会議しよう」と夕食中に会議を仕掛けて、なんとか両親の仲を改善できないかと頑張ってみたりもしました。だけど、父はそうやって話している最中にも自室に帰ってしまう。そして姉妹で「父ちゃん、最後まで聞いてよ!」と彼の背中に叫ぶのがいつものパターンでした。

家族会議 前日譚

私たち姉妹が少し大人になって家を出る頃も、両親の仲は良くはなっていませんでした。
母は、自身の故郷が被災した2011年の震災から、かなり心も身体もくたびれていて、近年は父の一挙一動がストレスに感じられていたらしく、不眠症の症状もあらわれていました。

そんな春のある日、私の家に母が2週間”避難”しにきた時のこと。久しぶりに母の話をゆっくり聞くのですが、まあやっぱり父とは上手くいってないようで。

正直私は、「30年も話し合いが出来てないなら、別れちゃえばいいのに」と思っていたから、またいつもの通り「別れちゃえば」と言ってみるのですが、母は「いや、でも・・・」と答える。
最初は母がなぜためらうのか分からなかったけれど、よくよく聞くと「まだ父ちゃんに話していないことがあるから」ということでした。

「じゃあ、なんとかして話せるように頑張るか」と、いったんは離れて1ヶ月。今度は実家に一時帰宅していた妹から涙声で「いますぐ話さないとやばい」と電話がきたことで、いよいよ家族会議が開催されることになったのです。

家族会議 準備

その少し前、私はホールシステムアプローチと呼ばれる対話のやり方に出会い、人々が話し合うことで生まれる可能性の大きさにいたく感動していました。
きっと今回こそその学びが生きる、と確信し、同じく対話を学んでいた妹の力を借りて、夜な夜な作戦会議をしながら準備をしました。

まずは、事前の呼びかけ。
妹が「いますぐ話さないとやばい」と思っているその背景を父と母に話して、それから日時の提案です。
一番忙しい父が落ち着いて食卓に座れる土曜日の夜を候補にして、「〇日と〇日と〇日からいい日を教えて」と誘いました。

かつての家族会議では、終わる時間を決めないで話し始めていたけれど(😲)、今回は「大切な話は1回で話し切れるわけないのだから、何回でも話す、という前提で。話が途中だとしても、この会は1時間半で絶対に終わりにしよう。」と決めて、そう伝えました。

それから、母は「まだ父ちゃんに話していないことがある」と言っていたその積年の思いを、「私は言葉で伝えるのが苦手だから」とどうにか文字にしたためました。それを父に事前に渡して、時間のある時に読んでもらいました。(これは、事前に書けた母にとっても、事前に読めた父にとっても、心の準備になったよう。)

家族みんなが安心してテーブルにつくために、それなりの準備がいることを私たちは学びました。

「はじまりのつどい」

そして、7月のある土曜日、”家族会議” がはじまりました。
タイトルは「我が家のしあわせな第二章 はじまりのつどい」

目的は、誰かを糾弾するためでもなく、誰かだけに改善を求めるのでもない。「 ”家族みんながしあわせに過ごせること”が一番の目標。この日は、そんな未来に向けて、みんなの話を聞きあう第一歩にしたいよね。」という思いから、妹と決めたタイトルです。

まずは、妹の呼びかけでこの日が決まったこと、そしていまこの瞬間みんなで集まれたことへのお祝いの乾杯から。
「緊張してきたな」とか「ちょっと疲れてるけど、集まれて嬉しいな」とか、いまの気持ちを率直にひとこと話してからスタートします。

聴きあうやり方は、「ストーリー・トリオ」と呼ばれるワークの変形版です。

まずは、妹が、7分間、自分の話をします。
その間は、沈黙になろうが、妹以外のだれも口を挟みません。静かにメモを取っているか、ただ聞いているだけ。
7分間聞いたら、聞き手の一人が、聞いた話をリストーリー(もう一度語りなおし)して、みんなでまたストーリーをかみしめます。

  • 仲の良い夫婦のかたちを知らない自分が、パートナーと幸せな家庭を作れるのかずっと不安だった。

  • 自分がもうすぐ結婚して実家に来にくくなると、両親の仲を取り持つ人が誰もいなくなる。新生活を、心配とともに始めたくない。

  • 自分たちが成長してからのこれからの人生、楽しく過ごしていきたい。みんなの「こうしてみたい」「ああしてみたい」という話を聴きあいたい。

などなど。妹の話は、私たち家族には時にヒリヒリする切実なものでした。

そして、みんなで感想を話します。
「ここに共感したよ」「ごめんね」「ありがとう」「色々思い出したよ」・・・

こうして、①一人が7分話す、②聞いた人がリストーリーする、③感じたことをみんなで分かち合う。それを順番に4人分行う。
それだけっちゃそれだけの、時間にしてたった1時間半のプロセスです。

起きたことはすごかった

1時間半のプロセス。だけど、起きたことは、私たちにとってはすごいことの連続でした。

父は、「はじまりのつどい」を途中退出することはありませんでした。
それぞれの話に耳を傾けて、仕事に必死だった数十年の自分を思い起こし、その裏側で家族に起きていたことに、感謝したり、謝ったり、静かに受け止めたりしていました。

「みんなのことを応援している」という心からの思い、娘たちを育てた妻への感謝。
老後にひもじい暮らしを妻にさせないようにと、実は色んな準備を進めていることも教えてくれたのです。

そして、母の積年の思いは、「文句」や「わめき」ではなく、切実な願いとして場に現れました。
ひとりの個人として大事にされたかったこと。
仕事も、家をワンオペで回していたことも、精一杯だったこと。負担を減らして欲しいとずっと感じていたこと。
父を子育てに参加させてやれなかったことを、実は申し訳なかったと思っていること。などなど。

娘の私たちも聞いたことがない、母の気持ちがゆっくり語られたのでした。

そうして話しているうちに約束の1時間半が過ぎました。「さて、一旦終わりにしようか」と呼びかけると「ええ、まだ話そうよ」と真っ先に言ったのは父でした。

結論めいたことが明確に話された訳じゃなかったけれど、「話せてよかった」「聞けてよかった」「また話そう」ということだけはみんなから口々に話され、共に夕食を食べながらゆっくり解散して眠りにつきました。

その後

北陸に転居した妹から、「父ちゃんと母ちゃんがこっちに遊びに来てるんだけど、二人、笑って話してた!!すごい!!」と連絡が来たのは、それから3か月後のことでした。
(これは我が家にとっては本当にすごいこと)

父は、自分たちと同じかそれ以上に深刻そうに見えていた、自分の両親(私の祖父母)にも「聴きあうこと」が助けになると感じて、場を開きに行ったそう。これまた母から「この前の父ちゃんすごかったよ!」と連絡が来たのでした。
(これも我が家のしあわせにとっては本当に大きなこと)

母からは、「あのとき自分の話ができたことが、本当にうれしかった」と、1年たった今もめちゃくちゃ言われます。

私自身も、父やみんなの本心にようやく触れられたように感じたことで、何かに安心したのか、前よりも家族に対してポジティブに関われている感じがします。

そして先日、妹の結婚式という一大プロジェクトを、みんなで笑顔で成し遂げることができました。

ききあうということ

私たちの両親は、結婚して30年という時を過ごしています。
父が自宅にいたのが、睡眠時間を除いて1日4時間くらいとして、1年で1000時間くらい×30年分は、夫婦や家族で顔を合わせていたと思いますが
そうやって毎日顔を合わせても、私たち家族には「出来なかった話」がたくさんあったのだと思います。

そんな家族の関係を変えたのは、たった1時間半の場でした。
もっと言えば、たった7分、だまって話を聞かれた時間が、私たちの関係を変えたと言って過言じゃありません。

7分。それは、仕事したりスマホをいじってたりしたらあっという間に過ぎる時間です。
だけど、その同じ7分、心を込めて話す人と一生懸命聞く人が一緒に座っていたら、とてつもないミラクルを生む可能性があることを、私たち家族は身をもって知りました。

我が家にとってすごく大切な時間だったなあと、書きながら色々思い出しています。

こんな体験ができるまでには、私に「対話とはなんたるか」「対話をホストするとはなんたることか」を教えてくれた人たちの力がたくさんあるのですが、その話はまたいつかどこかで。
(でも、本当に、この人たち👆と色んな人が早く出会ってほしいと思うので、そのコミュニティ関連で思いつくリンクを一番下につけました)

そして、同時に思い出したのは、家族以外にも、友達とか、職場とか、活動の仲間とか、仲間になりたい誰かとか、関係をもっと豊かにしたい人はたくさんいるということでした。

もしその相手に「7分、お互いのために話そう?」と踏み出せそうな予感がしたら。踏み出したいと思ったら。

話しに・聞きに行こう、と思いなおすのでした。


リンク集:私が学んでよかったこと

▼対話とグラフィックの基礎▼
対話とはなんたるかを教えてもらった場

▼Art of hosting ▼
対話をホストするとはなんたるかを教えてもらった場

▼サステナビリティ▼
みんなのしあわせ って簡単に言うけど何?どう作るのよ?の話
ここで一緒に妹と学びました。

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