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何を話したかはあんまり覚えてないけど、とにかく楽しかったってことは異様に覚えている時あるよね。

ずいぶん前に友達3人でバーに行ったことがある。

ある程度お酒も入り、気分も良くなってくると誰が言い出したかは忘れたけれど、それぞれ好きな漫画やアニメをオススメし合おうという話になった。

ひとりは荒木飛呂彦さんの『ジョジョの奇妙な冒険』について語り、最近ジョジョバーに行ったことを楽しそうに話してくれた。

別の友達は『機動戦士ガンダム』がおもしろいと言い、その話にバーのマスターが「連邦軍とジオン軍が正義対悪ではなく、正義対正義の戦いなんだよね。」と割って入ってきたときなんかは僕の興味バロメーターは振り切り、次の日さっそく第1作目の機動戦士ガンダムを見てみた。


そして僕はふたりに『ブルージャイアント』をオススメした。
主人公が世界一のジャズプレーヤーを目指す物語だが、生まれ持った才能の話ではなく、地道にこつこつと努力を続ける描写がしっかりと描かれていることや演奏中の表情などからジャズの音が伝わってくることを話した。

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あの日、好きな漫画やアニメの話で盛り上がったのはなんでだろうと気になったことがある。

お酒が入っていたから楽しかったのはもちろんある。

でもあの時、3人ともそれぞれがオススメするものを否定しなかったからが大きい気がする。

さらに、否定しなかったのは自分の中の『好き』が確立していたから他人の『好き』に対して寛容であれたのではないかとも思っている。

もしもあのとき、オススメできる漫画が僕に無かったら、ふたりが楽しそうに会話しているのを尻目に内心「早く帰りたい」なんて思いながら適当に相槌を打っていた可能性がある。

イソップ寓話の『すっぱい葡萄』みたいに、その漫画をおもしろいと感じる感性を持ち合わせていないのなら、相手を否定することで感性を持ち合わせていない自分自身を安心させようという無意識の思考に陥っていたかもしれない。

でもそのときの僕は、自分が心からおもしろいと思う漫画を知っていた。

そして知っていたからこそ、気持ちよく話すことも聴くこともできたし、4人(マスター含む)で話が盛り上がって、結果それが楽しい時間になった。


漫画に限らず、身の回りのものから概念まで自分の好きなものを増やして、それに満たされた生活を送りたいと思った。

サポート費は、本、フィルム代として使わせていだだきます。