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20070103 ウィキペディア(3)

 Wikipedia$${^{*1}}$$をリンク先として記事を書くことはなくなったが、記事を書く段階でWikipediaを閲覧することはよくある。リンク先として設定しなくなった理由は、閲覧頻度の少ない項目は誤謬を犯している可能性が高い$${^{*2}}$$からである。Wikipediaは項目の内容を不特定多数の人々が自由に編集できる$${^{*3}}$$。一旦間違った記述がなされても将来において誰かが修正するので、その記事の内容の正確性がどんどん高まると考えられている。

 ところが殆ど顧みられない項目は編集者が偏り、間違った内容がそのままで残り続ける可能性が非常に高くなる。百科事典の特徴$${^{*4}}$$の一つは「広く浅く」である。何かを調べるようとして何から手を付けていいのか判らない時に、百科事典を調べるとある程度のことが理解できる。もっと深く理解したければ、その項目の内容を基に文献などを探せばよい。誰もが知りたい事柄というのは、百科事典でなくても調べられる。多くの人々に滅多に知りたいと思われないような事柄は、百科事典しか頼るものがない。殆ど関心がないと言うことは編集者も少ないと言うことになり、Wikipediaの項目の内容の正確性も低くなる。

 最近、もう一つ気になることが出てきた。解説文の中に「思われる$${^{*5}}$$」という表現をよく目にする。客観的に説明すべきなのに「思われる」は戴けない。編集者が明確になっていれば、その人の主張であるからそう受けとめればいい。しかしWikipediaでは不特定多数の内の誰かの「思われる」である。内容に対して責任のない人の感想などは情報として全く価値がない。

 Wikipediaの公式方針として「検証可能な内容だけを掲載する$${^{*6}}$$」とある。匿名の編集者の思いは検証可能ではない。不特定多数が関わると規則は簡単に破られてしまうのである。Wikipediaが真の百科事典になるのはかなり難しい。

*1 20060830 紙マルク
*2 20060501 ウィキペディア(2)
*3 Wikipedia:基本方針とガイドライン - Wikipedia
*4 20020630 相互参照
*5 wikipedia "思われる。" - Google 検索
*6 Wikipedia:検証可能性 - Wikipedia

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