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20090329 全知全能の神

 全知全能の神はいるか。「いない」と証明できる。もしいるとしたら「自分で持ち上げることができない石を創ることができるか」と質問する。「できない」という答えなら、それはもう全知全能ではない。「できる」と言うのならそんな石を創ってもらう。しかし創っても持ち上げることができないので全知全能ではない。証明終わり。

 何故「石」なのか、よく判らない。「物」として聖書によく出ていそうだからか。元々、このなぞなぞはキリスト教圏から出てきたのだろう。これに関する英語の文献$${^{*1}}$$がある。

 多分、これでは証明になっていないだろう。「私は全知全能だ」と今、自分の目の前で主張している人に対して「それはあり得ない」と証明する場合は、この問答で十分だ。人じゃなく「装置」でも同じだ。「神」というものが人や装置と同列で考えられるのなら証明できたと言えるが、神とはそれらを超越しているとすれば、証明そのものが成り立たないような気がする。

 これでは身も蓋もないので、もう少し具体的な説明をする。全知全能の神がいるとして、人間がその神に問いかけるが、神は人からの問いかけにそもそも答えてくれるのか。仮定の話だから「答えてくれるに決まっている」としていいのだろうか。全知全能の神とはそのような問い掛けには一切答えなかったらどうするのか。答えるか答えないかは全知全能とは関係ない。

 「神が答えるかどうかは、この際、問題ではない」と言うかもしれない。それならば上記の証明は「全知全能の神はいない」という証明ではなく、全知全能という概念そのものの矛盾性を示しているだけだ。堂々巡りになるが、概念は思惟の世界だから人間が考える範囲でしか通用しない。「全知全能の神とは何か」という考えが朦朧としているので、ちゃんとした証明ができない。それがはっきりした途端、人間の考える世界の話になってしまい、超越したものではなくなってしまう。つまり全知全能の神とは人間の妄想だから「いない」に決まっている。証明の必要もなしだ。

 おそらく全知全能の神は、自分と同類の神からの問い掛けしか答えてくれないのだろう。もし全知全能ではない人間の問い掛けに対して何でも答えてくれるのなら宝くじ$${^{*2}}$$や$${^{*3}}$$で大儲けできる。

 答えてもらえるとなると問い掛ける本人も全知全能だから「いるに決まっている$${^{*4}}$$」という結論になる。

*1 Omnipotence (Stanford Encyclopedia of Philosophy)
*2 20030920 期待値
*3 20030524 株
*4 YouTube - ドリフ大爆笑 - コント神様?

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