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【短編小説】宣戦布告

 病臥している鎌倉の友人を横浜から三度見舞った。三度なのは、三度目の夜半で鬼籍に入ったからである。
 夏の盛りで、今年も江ノ島の花火に行こうといっていた矢先に、彼は気分がすぐれないといって、共通の友人がいる逗子の屋敷から早々に辞した。ひとしきり小説の話をして、将棋を指して、彼は下手だから、後は私と友人の勝負を見ているときだった。
 おくっていこうかというのを固辞して、彼は一人で帰った。
 私は小説を書き、糊口を凌いで十年経つ。主流とは相容れぬ世界でもがき、取るに足らない作家崩れであった。給金はむろん少ないから、数ばかり多く書いた。
 仕事をして何ヶ月か過ぎていくうちに、彼が入院したという知らせを聞いた。容態は逗子から帰って以降思わしくないのだという。
 電車を乗り継いで由比ヶ浜駅まで向かい、そこから歩いた。ひどく暑い。将棋盤なんてもってくるのはよせばよかった。
 馬鹿に立派な門を入り、ゆるゆると坂を上って、病院は山の斜面にあった。ステンドグラスの玄関口を持つ木造の洋館で、なかはひどい湿気だった。床は踏むたびに軋んで頼りなく、柱や壁の染料が剥げて下地の木材が露わになっている。廊下の端に避けてある担架も年季が入っていて、どこもかしこも随分傷んでいるようだった。
 えらいところに臥せったものだ。額と鼻梁をハンカチで拭いながら受付で病室を聞いた。
 彼の顔色はよかった。扇風機が暖気をかきまわしているばかりで、ちっともよかアないねと看護婦に文句をいっている。元気そうだなというと、元気なものかと答えた。愚問だぞというから、じゃあ、といって将棋盤を持ちだすと、彼は喜んで一戦交えた。
 逗子に寄ってもう一勝負して、彼の体調は良いそうだよと言い添えて帰った。
 病気といっても、どうということはないのだろうと高を括っていたのに、さらに一月後に行ったときにはひどく痩せていた。頬がこけて、丸坊主に剃った頭ばかりがでかい。電球のようだというと、貴様随分じゃないかと、言い返す気力があった。
「作家の言葉は重いぞ」
「三文だよ」
「三文でもだ」
 まだ昼にも早い時分であったから、将棋の駒を打つ真似をした。彼は電球に亀裂のような笑みを浮かべた。
 長い勝負が始まった。彼の妻が見舞いにもらった西瓜を切って差し入れた。寝台に備え付けられた小箪笥に西瓜の山が並んだ。西瓜を喰いながら、陽が高くなってきた。
 彼は飛車を動かして、暗いな、といった。
 病室のドアが開いて、彼の妻が入ってきた。
「おい、カーテンを開けてくれないか」
 彼が妻にいって、窓のほうを向き、なんだ、もう開いているじゃないかといって、私を見た。
 彼の妻は何も言わず西瓜の盆を片付けはじめた。

 数日後、夕刻に出向いたとき、彼の妻が廊下で待っていて、猶予はないと聞かされた。さっき医者にも同じ忠告をされた、と答えると、彼女は頭を下げてすれ違いに病院をでていった。
 病室に入ると、彼は暮れていく陽を見ていた。わたしに気づくと、肩越しに私を見て笑い、また夕暮れに視線を戻した。
 その夜に帰宅してまもなく、彼が死んだと連絡が入った。やすらかだったという。
 彼とはいろいろなことがあったのに、よく思い出せなかった。寂しさだけがあった。人が死んだことで、自分の中の何かが死ぬなんてよくいうけれど、死ぬのはきっと、自分自身なのだ。私と彼との間でしかありえなかった私が死んだのだろう。
 私は今でも、帰路の途中に考えたことを反芻する。
 死を待つばかりの友人に向かって、いよいよ最後の面会だというときに、何か言わねばならない。
 なんといえばいいのだ。
 彼はどうしたって死ぬのだ。
 あの日は口をつぐんで、彼の横にしばらく座っていた。また会おうといって部屋を出た。ああ、と返事を聞いて、それきりになった。
 暮れていく陽を見ながら、由比ヶ浜駅までの長い下り坂を歩いた。しだいに、何か、敗北したような気になった。
 しかし私は、また会おう、と言った。
 言ってやったのだ。
 夕闇が迫っていた。江ノ島電鉄の走行音がすぐそばで聞こえた。
 私は下り坂の途中で石を蹴っ飛ばして、石が転がっていく後を、全速力で追いかけた。

(了)

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