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〈26〉三年ぶりの家族の食卓。これはゴールではなく、スタートに立てるかの分水嶺だ。

■26
 時計を見ると、驚いたことに1時間半も経過していた。どう思い返しても、そんなに時間が経っているはずはない。体感では二十分ほどだった。時間の流れがひずむくらい、濃密な時間だったからだろう。
「準備をしてくる」と元妻が家の中に引っ込んだ。
「まさか、このまま出てこないのか」と思ったとき、ドアは再び開いた。元妻に続き、娘が出てくる。弟の手を引いている。
 両腕に二人を抱っこしたかったが、奥歯をきつく噛み締めてこらえた。いまは下手に刺激してはならない。「元妻と話すため」に食事に行く設定だ。
「さあ、行こうか」そう言って、二人の頭を撫でた。精一杯の触れあいだった。
 
駅近くの中華料理店。小上がりのテーブルを挟んで、私と娘が元妻と息子に向き合う構図で座る。
「なんでも好きなものを食べていいよ」
 子供たちは嬉しそうにメニューを見ている。
「いつもたのむのはねえ……」
 娘がそう言った。やはり外食が多いのだな。あまりの音信のなさから、ほんの少しの手がかりから、いろいろ想像する癖がついている。
 元妻は外食を好んだ。「お金を出して、時間を買う」という理由で、外食をする。「私が家事する時間をお金で買い戻す」と、いつも言っていた。
しかし細かいことは、どうでもいい。なにせ三年ぶりの家族の食卓だ。明るく過ごしたい。それに、これはゴールではなく、これからスタート地点に立てるかどうかの分水嶺なのだ。
 息子は少しぎこちない。恥ずかしがって、元妻の膝に顔をうずめている。
 娘はオムライス、息子は元妻のラーメン定食を小分けにして食べた。そういえば私は今日、何も食べていなかった。しかし胸がいっぱいで食欲どころではない。子供たちが食べたものは覚えているが、自分が何を食べたのか思い出せない。
 食事がはじまって十五分ほどすると、息子はテーブルの下から、私の膝にじゃれついてきた。嬉しそうだが、緊張しているようでもある。子供なりに私との距離を縮めようとしている。この子がどんな子なのか、ほとんど知らない。
 ほぼ初対面の息子が恥ずかしそうに「お父さん」と私を呼ぶ。息子は娘と違い、元妻からのプレッシャーをほとんど受けていないのがわかった。ただひたすらに猫かわいがりをされているようだ。
 娘と息子を強く抱きしめて、頭を撫でてチューもたくさんしてあげたい。それを全力でこらえ、元妻との対話に集中する。子供たちの様子を聴きながら、元妻の苦労をねぎらい、自分の至らなさを謝る。実際に「申し訳ない」という気持ちもあったが、気分的には面接を受けているような緊張感だった。
 話を聞くことに徹しているうちに、糸口が見えてきた。子供二人の面倒をみるのは大変だというので、私が手伝うから少しゆっくりしてはどうかと提案した。
「連れ去りが心配だろうから、そばで見ていてもらってかまわない。それでも一人でみているよりは負担が少ないと思う。もし良かったら……やけど」
 無理はしなくていいと強調する。今日、一緒にごはんを食べられただけでも感謝していると。
 元妻は「温泉に行きたい」と言いだした。
「よし、温泉に行ってゆっくりしよう」
 翌月に温泉へ行くことが決まった。ついに扉が開いた。
 連れ去り、連れ戻し、警察への強制連行、四百通のハガキ、面会交流調停、毎月の送金、学校凸撃、再びの警察出動、学童からの締め出し、運動会からの連れ去り、希死念慮からの奮起――三年の断絶を経て、ようやくここまで漕ぎつけた。

 私は娘と手を繋ぎ、娘は息子と、息子は元妻と手を繋いだ。日の暮れた住宅街。街灯が照らす道。四人横並びで歩く影法師。息子は連れ去られたとき、まだハイハイもできない赤ちゃんだったので、初めてのことだ。 

第一部 完


エピローグ

 温泉旅館のロビーに娘の泣き叫ぶ声が、響き渡った。ホテルマンも他の客も驚き、ある人は顔をしかめて私たちを見ている。
 元妻は自分の正しさを誇示するかのように、大声で娘を叱りつけた。
「ねえ、どうしてそうなっちゃうの?パパが来たからなのかな!いつもは、そんな風にならないよね!」
 いま、私が試されている。元妻の機嫌を損ねないように、娘との信頼を築くには、どうすればいいのか。考えるより先に、身体が動いていた。

〈奪還父さんブライアン2 片親疎外面会交流編につづく〉

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