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ロダンはなんで考える人なんかモチーフにしたん、独特やな

昨日の件を受けて友達と性暴力について延々話し合う。
実はわたしは今までもわりと露出狂とか痴漢とか性的な事件に出くわしがちで危険な目にまあまあ遭ってきており、実は言えないだけでみんなそういうことがあるのかもしれんなと思う。
大昔、それがあった時に身近な男性に相談したことがあるのだが、えー怖いな気をつけなあかんで、とか、何もされんでよかったやん、とか、そういった呑気な答えが返ってきて絶望したことがある。
この恐怖を理解してもらえないのだと理解したから。
でも、理解してもらえないことを怒っているわけじゃない、本当にわからないのだと思う。

あえてここに記したのは、わたしを心配してほしい、とかかわいそうと思われたいとか、構ってほしいとか、腫れ物に触るよう扱え、とか、助けてほしいとかそういう個人的な感情からではない。
同性には注意喚起の意味で。
異性には理解してもらいたいけどなかなか理解しづらい感情だと思うので、ただ、思っているより簡単には片付かない感情だということを知っておいてほしい。
たとえば、昨日のことがあり今後わたしは知らない男性とすれ違う時は目が合わないよう下を向く、その時多少体がこわばるだろうと思う。
これまでもずっと意識していることがある。
後ろのドアが開いているバンの横は絶対に通らない。
後方からゆっくり来た車は必ず警戒する。
ひとりの時、人の少ない場所でエレベーターは極力使わない。
体験から生活のふとした場面で緊張するシチュエーションが増える、植え付けられたものは二度と消えない、性暴力とはそういうものだ、ということをとりあえず、ただ、異性にも知っておいてほしいのだ、共存していくために。
これから先、同じ思いをする人をなくすために、何か自分にできることを考える。
昨日も今日も愉快な内容でなくてごめんなさい。
思い出したくないことを思い出す人もいるかもしれない、ごめん、ただ、伝えておかなくては。
わたしだって本当は愉快なことだけ書いていたい。

今日はずっとそのことを考える、考える人である、そろそろ石像になりそう、あー石像になりそう、石像になったらメルカリで売ってください、買う人いるかな、どこに飾るん、ロダンどういうつもりであんな石像作ったん?どこに置こうと思ったん?合う家あるん?
そんなこと考えてたら知らん間にメルカリを徘徊してた、やけっぱちになってジャマイカのお面を買おうかどうか悩むが、置くところがないのでやめておく。
置くところがあっても多分やめたほうがいい、部屋の世界観を変えていくしかなくなる、それが革命か。やるか。違うか。やっぱバグってる。

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