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撹拌する、一瞬の快楽のために

ワインや肉や春巻きやパスタやお好み焼きやらおとぎ話のようなうっとりモーニングやらで贅沢のかぎりをつくした1週間、おいしいものを食べすぎた気がする、体が重すぎる、と思い、ちょっとはおいしくないものを食べよう、と思う、しかしなんでもおいしいと感じるので自分の舌の単純構造に驚く。
そうこうしていたらぴんぽんが鳴りハンディブレンダー到着、早速刻んだり撹拌したりをしまくる、一瞬にしてじゃがいもやらたまねぎやらにんじんやらの全てが粉砕されこっぱみじんになる楽しさに打ち震える、なぜわたしはこれを何年も悩んで買わなかったんだろう、もっと早くこれさえあればいろんなことがもっとうまくいっていたかもしれない、コロナだって流行しなかったかも、戦争だって、などと思い、すべての業を機械に背負わせる、流石に気の毒、悪いね、これからよろしく、なんつって。
急に機械が低い音を立てた気がする。
つくることで気分がぐん、と晴れてきたので散歩がてら家を飛び出る、なんと素晴らしい夕焼け、空を仰ぎながらスーパーに行って豆腐とおあげさんを買って帰る、鴨川でへらへらとビールでも呑んだらよかったなと思うけれど今日は休肝。

毎日労われたりすることはないけれど、わたしだってよくがんばっている、でもみんながんばっているから、自分ばかりががんばっているような顔をしないぞと思う、にこにこしていても、しんどいことはそれぞれにあるのだ、きっと。
でも!わたしも!たまには!褒められたい!とのたうち回る、ばかやろー。
そういえば、わたしの父は着物の図案作家なのだが、作家になって50周年ということで今年、所属する協会から表彰されることになった。
50年経って人から公式に褒められる父、娘であるわたしは続けることがなにより苦手なので、ほんとうに偉いなあと思う。

撹拌の快楽に溺れ、夜になっても様々なものを作ってみる、手製のマヨネーズの油分を目の当たりにして目の前ががまっくらになる。嘘であれ。夢であれ。

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