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2022.01.15の日記(串かつ)

からっとした、というのは褒め言葉だよなぁと思う。
からっとした天気、からっとした性格、揚げ物もからっとしているのが美味い。

つまりは、「からっと揚がった唐揚げ」、「からっとした天麩羅」というのは、それ自体が褒め言葉である。そんな褒め言葉と化した揚げ物を作れるというのは、その人自体が褒められる対象であり、その揚げるという行為自体が、その人の特技と言ってもよいのではないか、「特技:揚げ物」と履歴書に書いてもええんではないか。そんなことを考えながら、今晩のおかずは串かつである。

家で串かつというのは、実は我が家にとって初めての試みだ。なぜ串かつをやろうとなったのか。というのも話が逆行するようだが、妻と話していて、どんな流れかは忘れたが、「僕は特技というものがない」という話になった。「でもあなた料理が上手じゃない」と妻が言い、「いやいや料理をする人はごまんとおるやろ。僕くらいのレベルは特技とは言えない。」と言うと、「でも揚げ物ができるじゃない」と妻が言う。「いやいや揚げ物ができる人もごまんとおるし…」と言いかけたところで、「あ〜、またあの通天閣の近くで食べた串かつ屋さん、行きたいなー」と妻の心が新世界へと飛んだ。それでその話はおしまいになって、今日の晩のおかずだけが決まった。僕の特技は、とりあえず「揚げ物(仮)」になった。

そんなことより、「今日は串かつにしよう」と決まった時のワクワク感というのは、なかなかに幸福なものである。「最近揚げ物やってへんな、串かつでもしよか」という惰性でも義務的なものでもなんでもなく、極々自然な会話の流れからの揚げ物、さらには揚げ物業界のAmazon的な立ち位置にある串かつである。ワクワクしかない。さて何を揚げたろかぃとメモ用紙に買い出しの材料を書くのも楽しい。アスパラガス、れんこん、えび、キス、ミニトマト、しいたけ、とりむね、豚バラ、カマンベール…、夢は尽きない。

一見、材料が多いと大変そうだが、実はそんなこともない。なぜなら、どれも刺して揚げるだけだからだ。バットを二つ並べ、買ってきた材料をそれぞれ家族四人分、串に刺していく。それらが並んだだけで、串かつ屋のカウンターのようだ。後ろで妻と子どもたちが「わー」と小さい歓声をあげている。よしよし。小麦粉、卵、牛乳、少しお酢を混ぜたバッター液なるものを作り、細目のパン粉を入れたバットをもう一つ用意する。揚げた後の油切り用のバットも忘れずに。

揚げ物をする際の、あとは揚げるだけ、という瞬間がよい。たいていビールの栓が抜かれるのはこの時である(うちは最近瓶ビールに転向)。乾杯。油の温度が上がるまで、コンロの前でビールをひと口、ふた口と楽しむ。

「何からいきますか?」と、勝手に串かつ屋の大将を装う。キッチンカウンター越しに、家族に尋ね、次やるときは、子どもたちにメニュー表を作ってもらおうなんて考える。「まずは野菜からかな」という妻の注文を受け、アスパラガスからのスタート。れんこん、ミニトマト、しいたけと続く、ミニトマトは「やけどしちゃう!」と、揚げた後、暫くの間子どもたちにつつかれていた。

串かつにはソースも重要だ。ネットで調べたらいくらでもレシピが出てくるので、家にある調味料を混ぜて、簡単にそれらしいソースが作れる。お店に行けばお決まりように、「二度漬け禁止」だが、家ではそんなことはない。いくらでも漬けてよし。「二度漬けOKやで〜」という言葉に子どもたちはとりあえず「わーっ」とはしゃぐ。意味わかってないと思うけど。

揚げ物フリークな我が家にとっても、家串かつはなかなかのヒットであった。息子の推し揚げは豚バラ、娘は海老がお気に入り。カマンベールは美味しすぎて二人とも悶絶。僕は鶏がお気に入りだった。妻に何が美味しかったと聞くと「えーっ全部!」と言った。知り合ったときから、嘘もお世辞も言わない彼女も、本当にからっとしている。また通天閣にも連れって揚げたい、いや、あげたい。

お蕎麦屋さん開きたい。