もう会えない、彼女とのこと
あんなに仲が良かったはずなのに。ちょっとした自分側の慢心や傲り、或いはその逆、ボタンのかけ違いで、なんとなく距離が開いてしまった。
そんな経験って、ある人にはあるモンだ。と考えている。
「お耳に合いましたら」を見ていて、主人公の女の子が、大学時代の親友で就活中に喧嘩みたいな様相になって関係が遠くなってしまった女の子と、社会人になってから。ライフワークを通じてまた仲良くなれた。というハッピーハッピーエピソードがあって、「ああ、眩しいなぁ。羨ましいなぁ。」と思ってしまった。
私にはいる。自分の慢心や傲りによっていなくなってしまった友人が。
あんなに飲みに行っていたのに。
あんなに一緒に管を巻いていたのに。
あんなにお互い頼り合っていたはずなのに。
私が悪かったのだろうとわかっている。詳細は差し控えるが、信用残高が減っていった結果なのだ。だから、何度か謝った。それでも彼女との距離感は元には戻らなかった(表面上は戻ったように見えるが、本質的にそうかというと、それは煙に巻かれていたと思う)。「いやいやそれを言うなら私だって彼女の嫌なところは散々受け入れてきたのに・・・」なんて、都合よく腐ってモヤモヤしていた時期もあったけれど、女って面白いもので、やっぱり離れてしまった人のことは簡単には追いかけられない。煙に巻かれれば巻かれるほど、事の重大性を理解し、逆に自分ができる相手へのせめてもの「誠実」として、追いかけなくなる。簡単に擦り寄れば擦り寄るほど、彼女が逃げていくことも、わかっているからである。そういった側面は、私自身も含め人間の特性としてあるモンである。
今日、とあるVCで彼女がプレゼンしているのを聞いていた。
びっくりするぐらいハキハキと喋っていて、わかりやすく、シンプルなプレゼンテーションだった。相変わらず頑張っているんだね、と改めて尊敬した。
思わず「今ならもしかして」という浅はかな思いから「今日のプレゼン素晴らしかったよ!」と言うチャットを送りたくなった。そうすることで、あの頃に少しでも戻れるチャンス、きっかけになるかもしれないといった期待が、一瞬脳裏を過ったのである。
でも、やめた。勇気がなかったし、彼女に塩対応されるのは怖かった。
私は、バラバラに割れてしまった彼女との関係を拾い集める代わりに、同じ過ちを他の友人で繰り返さないようただただ心がけている。徒花かもしれないが、戒めとしてこれからも忘れないでいよう。そんなことを改めて思い起こさせてくれた、今日だった。
心の中で彼女に言う。「プレゼン素晴らしかったよ。そしてありがとう」
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