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バスケットボールの定理

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恩塚亨・鈴木良和・日髙哲朗、三人のバスケットボールコーチの過去の仕事を追い、日本バスケの未来を想像する。
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記事一覧

バスケットボールの定理 【第6部】 〜新しい目、あるいは感情の力について〜

コーチングフィロソフィーの転回点恩塚亨のコーチ人生を振り返ったときに、2020年は特筆すべき年である。この年を境に恩塚のコーチキャリアは前期と後期に分けられると、とりあえずは言うことができる。(もちろん今後また大きな転換を迎え、最終的にそのキャリアが前期と中期と後期に分けられるといった可能性は残されているが、とりあえず現時点では) 後期の恩塚は前期とはまったく異なるコーチ観に基づいたまったく異なる指導を模索し続けている。それほど大きな断絶が2020年にある。この年にいったい

バスケットボールの定理 【第5部】 〜アンサングヒーローの密かな戦い〜

10代へのメッセージ2016年9月、東京都北区 その日、味の素ナショナルトレーニングセンターに北海道から沖縄まで全国各地からバスケ部の男女が続々と集まってきた。 「デカいな。高校生かな……?」 何も知らない人が見たら、そう思っただろう。 女子は160台後半から170cm台、男子は180cm台が当たり前で、中には190cmに届く子までいた。なので、高校生と見間違えられても不思議はないのだが、彼らは全員が中学1年生、U13ナショナルジュニアユース育成キャンプに選ばれた選手たちで、

バスケットボールの定理 【第4部】 〜一流の条件〜

ファミレス協定その団体客は、どことなく奇妙に映った。 ファミレスの禁煙席に座る長身の若い男をさらに若く10代にも見える女子たちが取り囲み、かれこれ2時間近くも気難しい顔で何事か話し込んでいた。 「まだいる……」 詮索好きな店員であれば、いくばくかの怪しさを感じながら、彼らがどんな関係なのか想像をめぐらせたに違いない……。 それは東京医療保健大学女子バスケットボール部監督の恩塚亨と部員たちの一行だった。バスケ部員をファミレスに集めた恩塚は、現在週3日の練習日を4日に増やす交渉

バスケットボールの定理 【第3部】 〜孤独なアナリストの証明〜

理想と現実2006年4月、東京都目黒区 大学のバスケ部であればバスケに情熱を持った選手たちと一緒に思う存分バスケに打ち込めるはず……。恩塚亨の思いから誕生した東京医療保健大学女子バスケットボール部。チームの愛称はウィザーズ(魔法使い)。 いつかはバスケットボールの聖地、代々木第二体育館へチームを連れていきたい……。その大きな希望を胸に恩塚は真新しい体育館へと向かった。 だが、現実はそう甘くはなかった。 1年目の部員は経験者3人と初心者2人の計5人だった。 試合中はベンチに恩

バスケットボールの定理 【第2部】 〜情熱の価値〜

帰ってきた救世主2001年4月、茨城県つくば市 その男は、母校を救うために帰ってきた。 恩塚亨の所属する筑波大学バスケットボール部は、前年、リーグ戦2部降格という屈辱を味わった。1927年の創部以来、インカレに全大会出場を続けている唯一のチームであり、国立大学で唯一インカレ優勝を果たしている名門筑波大学にとって、それは異例の事態である。 そこでこの年、新たなヘッドコーチを外部から迎え入れることになった。 彼は筑波大(旧東京教育大)のOBであり、かつてキャプテンとしてインカレで

バスケットボールの定理 【第1部】 〜魔法使いとその弟子〜

謎のはじまり1891年12月、マサチューセッツ州スプリングフィールド 国際YMCA訓練学校の教員をしていたジェームズ・ネイスミスによって、バスケットボールは冬季の室内用スポーツとして考案された。 バスケットボールという競技は、ごく単純な3つの条件によって成り立っている。 1. ボールを持ったまま走ってはならない。 2. 身体接触・衝突をしてはならない。 3. 競技者の頭上に水平のゴールを置く。 しかし、ネイスミスがバスケットボールを考案してから一世紀以上が経ちながら、この