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監獄のような、あの部屋で。

僕は今大学4年生で一人暮らしをしている。
でも、今の家が初めて借りた部屋じゃない。

理由は簡単だ。僕が浪人生だったから。

高校時代、遊び呆けていたツケが回って僕は志望していた大学の試験に落ちてしまった。

なんとなく流れで浪人を決意したのだが、親も僕の性格のことはよく分かっていたようだ。
寮付きの予備校を勧めてきた。

口うるさい親の元を離れてみるのもまた一興か。なんて呑気なことを考えていたらトントン拍子で入寮日が来た。

「なんだかやけに親が名残惜しそうにするなぁ」と思いながら、およそ浪人生とは思えない少なさの勉強道具や生活用品を運び入れていると、1時間少し足らずで入寮が完了した。


地獄の始まりだった。

底無しの阿呆だった僕はなんの前情報も仕入れていなかった。

入寮してびっくり、門限18時、夜12時消灯、3時間強制勉強、消灯後スマホ禁止という、おおよそ文明的な人間生活とはかけ離れたルールが存在していた。

ちなみに、起床は朝6時50分で寮長からの館内放送によって行われる。

「部屋番号○番、○番、早く起きろ」

部屋番号がまるで囚人番号のように思えた。

また、門限にも非常にうるさく、17時半に少しでも遅れるとその週の日曜は外出禁止だった。
そんなに離れていない自宅にも簡単には帰らしてくれない。

予備校が終わるのは16時半なので、本当に時間はカツカツだった。
ちょっとのんびり買い食いなんてしようものならすぐにアウトだ。

女の子のご飯の誘いも泣く泣く断り続けるしかなかった。


しかし、僕も18歳。遊びたい盛りだ。
4ヶ月ほど経ったある夏の夜、こっそり抜け出してやろうと画策した。

当時僕には仲の良かった女の子がいた。
その子は専門学校に通っていて、一人暮らしをしていたから、夜中に落ち合おうなんて連絡を取り合って計画を練った。

スマホは消灯前に没収なのでダミーを用意し、
抜け出しやすい部屋の友達とこっそり入れ替わっておいた。


そうして、決行当日。
機を見て僕は黒洞々たる夜に駆け出した。

田舎の街の下品なネオンサイン、誰かの下宿から漏れる明かり、公園の暖かくてぼんやりとした街灯、全部が眩しかった。
夜をこんなにも美しいと思ったのは初めてだった。


自転車で走って、走って、走って、やっと彼女のもとにたどり着いた。

近くの公園のブランコに座って、他愛のない話をしながら三ツ矢サイダーを飲んだ。
彼女は「うちで泊まって行く?」と誘ってくれたけれど、僕はもう満足だった。

ほんの数時間でも陰鬱な寮生活を抜けだして、
こうして好きな女の子と話している。

本当にそれだけでよかった。
その後程なくして、僕は彼女にありがとうとさようならを言って帰路についた。

顔を上気させて帰ってきた僕を待っていたのは、鬼の形相の寮長だった。

すぐに顔から血の気が引くのがわかった。
その後、こっぴどく怒られたのだろうが記憶が殆どない。多分本能的に他のことを考えて現実から逃れたんだと思う。

それ以降はまた真面目に寮生活を送る毎日に戻り、結局志望した大学には合格した。


退寮する時、寮母と寮長は泣いていた。
「ここでの生活にくらべれば、どんな困難も些細なことだ。何かあったらまた自分の部屋を見にこい。」と言っていた。


幸い今のところはそのような困難には直面していないし、これからもあそこに帰るつもりは毛頭無い。


僕が初めて1人で住んだ部屋は狭くて埃っぽくて、負けの象徴みたいなところだった。
願うことなら、二度と戻りたくはない。


だけれども、その部屋は僕の原点として、そしてこれからも誰かの原点として在り続けるのだろう。


をはり

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