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『家族ゲーム』 TVドラマ版とは一線を画す素晴らしさ。ゴダール的ディスコミュニケーションの果ての家族風景。

評価 ☆☆☆☆



あらすじ
家じゅうがピリピリ鳴ってて、すごくウルサイんだ! 沼田家は横一列に並んで食事をとる。母、父、弟、兄の順。父は典型的なサラリーマンで子どもたちには良い成績で良い大学へ進学して、いい会社へ就職することをを希望している。



このブログもかなり充実してきたが、まだアップしていない作品が数多く存在する。1983年公開の森田芳光監督、松田優作主演の『家族ゲーム』もそのひとつ。この作品は1980年代の傑作だと言っても異論はないはず。何度も観ているけれど、面白い。不思議な余韻を残してくれる。



物語は、高校受験を控えた劣等生の沼田茂之に家庭教師がやってくるところから始まる。沼田家は、父、母、兄、劣等生の4人。風変わりな家庭教師により、次第と家族間の関係が変容する。



映画は淡々と進行する。この家庭教師は熱血漢ではないし、登場する人間たちも声を荒らげるわけでもない。家族ひとりひとりに秘密があるというありがちな話でもない。厭世的にこの世を見てるわけでもない。感情をあまり表情に出さずに進む。



森田監督はこの映画をサイレントに近いかたちで作りたかったらしく、音楽を一切使用していない。わざわざレコードを聞くというシーンを導入して音楽が使われていないことを観客にアピールするくらいだ。



コミカルな中にも狂気を感じさせる松田優作の演技が素晴らしい。森田芳光の独特の演出は斬新を通り越している。森田監督は、松田優作演じる家庭教師をゴジラのような存在として演出したいと考えていたという。海から船に乗ってやってくる家庭教師の姿は、まさにすべての関係性を超越した神的存在。破壊の神のようでもある。



不思議なのは、1980年代前後の映画の多くがディスコミュニケーションを希求し、同時にその危険性を提示していることだ。ところが2010以降の映画の多くはディスコミュニケーションを破壊し、別のコミュニティ形成を作ろうとする物語が多い。時代の変遷なのだろう。



人間は社会的動物である。どの程度のつながりをコミュニケーションとして持とうとしているかはさておき、60年代にジャン・リュック・ゴダール監督が示したディスコミュニケーションの行き着く果てのひとつの結論が、この『家族ゲーム』として成立しているように見える。



その向こうにある、あるいはこの映画のラストに迫り来る音だけの存在。これは、いったい何だろうか。想像すると結構怖い感じだが、そんな予感で幕を閉じる。うーん。やはり何度観ても傑作。多分、森田芳光と松田優作という類まれな才能によって生まれた奇跡的な作品なのだろう。



残念なことに松田優作も、伊丹十三も、森田芳光もすでに死んでしまった。もし彼らが生きていたら、もし『家族ゲーム2』があったとしたら(あるいは同スタッフ、同キャストたちによる作品だとしたら)、それはどんな映画になっていたのか。凡庸な続編か? あるいは狂気の向こうに見える新しい世界か? 



そんな夢もいまは叶わない。いや、もしかしたら松田龍平が、などといった叶わぬ夢を想像することくらいしか、いまはできない。



初出 「西参道シネマブログ」 2013-10-02



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