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『ヒポクラテスたち』 ラストまでしっかり観てほしい。青春とは生と死の中間に位置すること。

評価 ☆☆☆



あらすじ
洛北医科大学付属病院に併設された大学では多くの医学生たちが勉強に励んでいる。最終学年となる荻野愛作は座学の点数はほぼ満点だが、実習となるのはうまくない。医学生の最終学年では臨床実習が行われ、学生は6~7人のチームに分けられる。



かつてATG映画という作品群があった。アートシアターギルドという映画会社が配給していたもので、詳しい説明は割愛。ググッてください。ATGからリリースされる多くは現在で言うアート系と呼ばれる作品だった。




難解、意味不明、ストーリー破綻のものも多い。しかし、中には日本映画界、いや世界の映画を揺るがす傑作もあった。大森一樹監督の『ヒポクラテスたち』もそんなATG映画のひとつだ。



『ヒポクラテスたち』は1980年公開の作品。監督は大森一樹。出演は古尾谷雅人、古尾谷雅人、光田昌弘、伊藤蘭など。



映画における傑作とは何かという疑問も湧くだろう。傑作をどう定義づけるか。ひとそれぞれだし、何年も映画を観ていると定義が変わってくる。個人的に、若い頃は映像そのものよりもイメージの豊富さを重視していた。それがいつしかストーリー構成の面白さに変わり、最近ではルックの質感を重視するようになった。



ATGには僕の好きなルックを持った映画が多くあった。『海潮音』で撮影された冬の海(撮影の瀬川浩は『砂の女』を撮っている)、『ツィゴイネルワイゼン』の切り通しなど、数え上げればきりがない。



『ヒポクラテスたち』での印象的なのは8ミリ映像だ。劇中映画として登場する作品の中に8ミリフィルムシーンがある。これが妙に生々しい。この作品を撮影するにあたり、8ミリ、16ミリ、35ミリのフィルムをつなぎ合わせた(もちろんブローアップで)とか、蛍光灯のシーンが非常に多かったので色温度と肌の関係で苦労したというエピソードを読んだこと思い出す。



大森一樹監督はこの映画で非常に苦労したらしい。彼は『暗くなるまで待てない』という自主制作映画で傑作を作り、『オレンジロード急行』でメジャーデビューし、『ヒポクラテスたち』や『風の歌を聴け』といった青春モノの佳作を作っていた。



でも、いつのまにか職業監督となってしまった。森田芳光監督以上に「誰が撮影したんだ?」という作風になった。鈴木清順を崇拝していたとは思えない。相当に映画世界は厳しいんだろうな。



『ヒポクラテスたち』に描かれているのは、明るい青春でもなければ、医療サスペンスでもない。閉塞感のある青春である。年を取ってそのことが良くわかる。不思議なものだ。青春を描くとは、死と生の中間に位置する何かを描くということかもしれない。20代とはまさにそういう時期である。



その意味では、連合赤軍も、オウム真理教も、若者たちを巻き込んだものが反社会的だったにせよ、「青春」だったと定義づけることができるだろう。すでに20代からはるか離れてしまったからこそ、わかることだ。



この後、俳優だった古尾谷正人は自殺し、斉藤洋介、内藤剛志はいまも活躍している。この映画が製作された頃、そんなことを誰が想像できただろうか。不思議である。



初出 「西参道シネマブログ」 2010-10-26



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