見出し画像

『ウォーターボーイズ』 テーマ曲「学園天国」が象徴するノリノリの青春映画。

評価 ☆☆



あらすじ
唯野高校の水泳部キャプテン、鈴木智。だが部員は彼1名で、廃部寸前だった。高校最後の大会を終えて引退を迎えた帰り道、同じ会場でやっていたシンクロナイズドスイミングの演技を目の当たりにする。



『ウォーターボーイズ』は2001年公開の矢口史靖監督・脚本による映画で、妻夫木聡、玉木宏、三浦哲郁などが出演している男性シンクロナイズドスイミングを題材にしたコメディ。



以下は某雑誌に掲載された自分の評論です。



中国では、映画『タイタニック』では、毎回のように劇場内で大笑いが起きるそうだ。特に船が分断されるシーンでは大爆笑という話。日本人には理解に苦しむ話だが、笑いのツボは国ごとに違うらしい。笑いと社会的な通念や文化的背景、社会的背景とには密接な関係があるようだ。



日本でスマッシュヒットとなった『ウォーターボーイズ』は、男子高校生たちがシンクロナイズドスイミングをするという、強引にして映画的なコメディだった。表面はコミカルだが、映画には現在の学校のあり方が、しっかりと描き出されていた。



ストーリーを説明しておこう。男子高校に、部員が鈴木(妻夫木聡)だけという水泳部があった。そこに美人教師、佐久間先生(眞鍋かをり)がやってくる。彼女を目当てに入部希望者が殺到するが、佐久間先生は「シンクロをやる」と急に言い出す。逃げ切れなかった鈴木を含め、落ちこぼれの5人がシンクロを始めることになる。



ところが佐久間先生は妊娠してしまい、結局シンクロは自分たちで独学するはめになる。やる気はあってもどこか中途半端な5人。プールを管理している水泳部顧問、杉田先生(杉本哲太)もあきれ顔だ。なんとか周囲を見返したい彼らは、イルカの調教師である磯村(竹中直人)に教えを請い、文化祭での男子シンクロを成功させる。



この映画のメインとなるのは、男子シンクロを取り巻く部活動の様子。現実では部活動を指導するのは学校の先生がほとんどだ。「ウォーターボーイズ」にも2人の先生が登場する。1人は水泳部の責任者、杉田先生。水泳部の顧問だ。生徒たちに水泳を教える熱血教師ではない。「がんばります」「やらせてください」という生徒たちの言葉を信用し、ぶっきらぼうではあるが彼らを応援する。だが、男子シンクロを知らないから指導できない。



もうひとりの佐久間先生は、自分の夢を生徒たちにダブらせるタイプだ。部活動を担当する教師の多くは2つのタイプに大別できそうだ。これまでの映画なら2人のどちらか、あるいは2人が協力することで、男子シンクロは猛練習を重ね、成功へと向かうというストーリーになるだろう。ところが『ウォーターボーイズ』には第3の指導者が現れる。それがイルカの調教師、磯村である。



竹中直人演じる磯村は、シンクロを知らない。教えを受けに来た生徒達に水族館の掃除をやらせてお茶を濁そうとする。ところが、掃除で鍛えられた手首の動きは、スカーリングというシンクロ独特の手の動きを習得することになる。さらに磯村はゲームセンターに連れて行く。適当に遊ばせておこうというつもりだったのに、生徒たちはゲームによってリズム感を学んでしまう。磯村のいい加減な指導も生徒たちには効果がある。



生徒たちが選んだ「指導者」が教師ではない点に注目したい。実際、数学や社会を教える教師と部活動を指導する教師は違って当然だ。映画の中で、演技を他人に見せることをビジネスにしている磯村に演技のアドバイスを求める方向性は、笑える設定ではあるが、かなり説得力がある。『ウォーターボーイズ』はコメディタッチになっているが、"スポーツを極めたい"と願う青年たちの物語として、従来の青春映画と一線を画しているのだ。



別の側面から見てみよう。映画にはかつてのスポ根三点セット『(教師と生徒の)心のつながり』『涙を流して抱き合う』『必殺技』が見当たらない。『心のつながり』は先ほど説明したようにほとんど見られない。憧れの同級生(男子生徒なのだ)を慕う男の子という場面はあっても『涙を流し抱き合う』シーンもない。これらを証明するように、映画には部室シーンが登場しない。『必殺技』をのぞいた二つの要素は、濃厚なコミュニケーションのあり方を意味している。



かつて生徒と先生、生徒同士のつながりを演出する上で、汚く、小さな部室という場は必要不可欠なものだった。それは「家」に近い存在だった。そこでは部員たちはコミュニティの一員になりえたのだが、この映画には部室が必要とされない。そして『必殺技』も消えた。かつて『必殺技』とは個性の暗喩だった。時代の中で個性化が進み、各々の個性のために『必殺技』を持とうとすること自体、意味を持たなくなった。"消える魔球は完全に消えてしまった"といえるかもしれない。この『(教師と生徒の)心のつながり』『涙』『必殺技』の消失は、クラブ活動の延長としてのスポーツを題材とした映画『がんばっていきまっしょい』」や『ピンポン』といった作品にも共通している。



さらに「ウォーターボーイズ」には、従来のスポ根青春映画にない要素が見られる。それは"笑い"の要素である。ただし、笑いといってもコミカルな"お笑い"という要素ではない。自然と笑ってしまう充足感を意味している。自己満足ではなく、高いレベルで「笑える瞬間」の訪れとでもいおうか。スポーツをスポーツとして純粋に楽しめる瞬間の到来なのだ。それは『ウォーターボーイズ』のラストに展開される演技そのもので表現されている。「部室」の消失と引き換えに得た"笑えるほどの充足感"こそ『ウォーターボーイズ』が多くの人々の共感を得た理由といえる。



以上。以前に雑誌で発表した『ウォーターボーイズ』の評論です。



独善的ではあるけれど、悪くない。説得力もある。久しぶりに『ウォーターボーイズ』をテレビで見たが、十分面白かったです。



追記



この後『ウォーターボーイズ』は映画だけでなく、テレビドラマでシリーズ化されて大ヒット。石原さとみ、星野源など、いまはビックネームとなっている人々がいっぱい参加したプロジェクトになった。



初出 「西参道シネマブログ」 2005-08-02



ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?