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『ザ・フライ』 グロい描写に注意。病気によって変容する醜さと愛は両立するのか?

評価 ☆☆



あらすじ
科学者たちが集まるパーティ会場で科学者であるセスは若い女性ヴェロニカに、自分の研究について聞かれる。世界と人間生活を変える画期的なものだとセスは答えるが、ヴェロニカから具体的な内容を聞かれてもライバルの研究者に聞かれたくない。そこで彼女を自分の研究所に誘う。そこにあった装置はテレポッドという物質転送機だった。



ある男性に「クローネンバーグの傑作は?」と聞かれた。『デッドゾーン』は間違いなく代表作だろう。もうひとつ思い出したのは『ザ・フライ』。元来、私はホラーとか臓器ぐちょぐちょものが好きではない。この映画もかなりどろどろしているので二度と観ることはないかもしれない。それでもやはり興味深い作品である。だから観ておきたい映画としてお勧めしておいた。



この作品は1958年の『蠅男の恐怖』(原題は同じ)のリメイクである。1986年の『ザ・フライ』は監督がデヴィッド・クローネンバーグで、出演がジェフ・ゴールドブラム、ジーナ・デイヴィスなど。基本的設定は同じだが、オチも違えば印象もまったくの別物。



物質転送装置を研究している科学者が、自分を実験台として転送する際に蠅が入り込んでしまったために両方の遺伝子を持った人間に変化していくというもの。『ザ・フライ』の優れているところはいくつかある。ひとつは遺伝子操作に対する警鐘がなされているところ。1980年代前期から今日まで、人類はさまざまな生物の遺伝子操作を進めてきた。それが何を意味するのか? 



『D.N.A. / ドクター・モローの島』も同じようなモチーフ(この作品もリメイク)だったが、遺伝子操作をすることは本当に問題ないのか? 変異体を人為的に作り出すことは正しいことか?



探究心がリテラシーよりも先行しがちな科学の持つ残酷性が如実に表れている。遺伝子操作を人為的に行わないにしても、何かのトラブルが起こる可能性だってあるのだ。原発事故以上の深刻な問題に世界の人々を陥れるかもしれない。この映画は科学至上主義の行き着く果てが、見るもおぞましい世界であることを示唆する。



もうひとつは病と愛という点。当時、この映画はエイズのメタファーとして注目されていた。映画公開がエイズが原因不明の死に至る病として広まり始めていた時期だったこともある。エイズは免疫不全によってさまざまな病気に冒されてやせ細っていく。顔つきが変わり、肉体が崩れていくその様子は、人間から蠅の遺伝子を持った人間の変態シーンに似ていた。病気によって変容していく人間の醜さと悲惨さと愛は両立するのか?



変わりゆく人間をどこまで愛することができるか? 『ザ・フライ』で涙した観客は多い。この映画が秀逸なのは、それが自己憐憫なのか、それとも無償の愛なのかを見極められない部分にリアルさにあるからだ。このあたりは自分で観て確認して欲しい。



それにしても、なんという悪趣味、なんというグロテスクな表現。デヴィッド・クローネンバーグ監督の造形美をいまさら評価する必要はないが、この『ザ・フライ』には彼独特のデザイン美学が貫かれている。ジェフ・ゴールドブラムも気持ち悪いよ。



『裸のランチ』や『クラッシュ』はどちらかというと原作の力が圧倒的に強いため、映画は不利に見える。かといって『イグジステンス』以降のクローネンバーグはパワーを失いつつある。『ザ・フライ』は彼の作品群の中でも非常に力がある時期の秀作。夏のホラーとして、友人たちと観てもいいかもしれない。



ただし、繰り返すようだが、ゲロゲロとなるシーンが多発。うげーとなるので注意しましょうね。



初出 「西参道シネマブログ」 2014-07-29



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