かすかな心

前回まで初心者向けの禅入門講座の内容について書いてきました。
今回は、禅に取り組み、アメリカでセミナーを行っている中で
気がついたことについて書きます。

私は、3ヶ月に一度アメリカを訪問しています。
何のため?と目的を聞かれるのですが、答えづらい質問です。
何かに導かれてという感じでしょうか。

アメリカ挑戦の模様はこちらに書いていますので、
ご興味のある方はご覧くださいね。
https://www.zen-mental.com/akanokimiaki/#usa

アメリカに行き続ける中で、日本文化との違いや
日本人の持つ特性がより見えてきました。

日本には、出汁というかすかな味覚を
味わう文化があり、無心、侘び寂び、
言葉では表現できない気持ちや場の空気など、
微細な感覚を大事にする多くの表現があります。

一方でアメリカでは、はっきりしたものが支持され、
食べ物も刺激があるものが好まれる傾向があります。
微細な感覚を味わう文化とは真逆の志向をもつと
いえるでしょう。

ただ現代社会においては、日本でもアメリカと同じように、
刺激を求めるようになってきていると思います。
刺激はさらなる刺激を求めます。
辛いカレーを好きな方が、さらに辛いモノでないと
満足できなくなるような状態かもしれません。

坐禅は「刺激」を求めるのとは逆です。
道元禅師は「鼻息微通」と言いました。
鼻息が呼吸でかすかに通じるようにするということです。

坐禅では、かすかな息を感じます。
目も半眼といって、半分だけを開けて「かすかに見る」のです。

坐禅をしてお腹の前で手を組んでいる仏像や仏画を
皆さんも見たことがあるのではないでしょうか。

右手の上に、左手を置き、親指の先をくっつけて、
指で楕円形を作ります。
https://www.soto-kinki.net/zazen/sotozazen.php

「法界定印」(ほっかいじょういん)と呼ばれる
手の形は、宇宙の真理を表しているともいわれます。

坐禅を組むとき、もっとも大事なことは、
親指がかすかに触れているのを感じること。

くっつきすぎたり、離れてしまったりしてはいけません。
薄い紙が一枚親指の間に挟まっているような、
つかず離れずという、かすかな状態を感じ続けるのです。

私は、微細なことに注意を向けるこころを
「かすかな心」と呼んでいます。
「かすかな心」というコンセプトは、
私自身の禅経験の中から生まれました。

お腹の前で法界定印を組んで、かすかな感覚を
意識することで、自分の中に心と身体のバランスが
自然に生まれます。

開催している禅に関するセミナーでも、
皆で坐禅を組みます。

参加者によると、かすかな感覚を意識し続けるのは、
最初はかなり難しいようです。

気がつくと、前日の仕事の反省や翌日の予定などを
考え始めているからです。

何度も心を法界定印に戻し続けないと、
すぐに何か別のことを考え出すなど、
心がどこかに飛んでいってしまいます。

しかし、徐々に慣れてくると、心が静かになっていくそうです。
心がニュートラルになると表現した参加者もいました。

感じ方は人や状況によっても違いますが、いずれにしても、
その人にとってのフラットな状態に戻してくれるのです。

禅において「中道」といわれるこの状態は、思考では作れません。
身体で「かすかな感覚」を感じることで、
自然に心と身体が整ってきます。

そして「かすかな心」は自分の中の心の状態だけではなく、
相手との関係性においても大切なのです。
いかに「かすかな心」でコミュニケーションをとるか。

日本とアメリカで開催している禅リーダーシップセミナーでは、
かすかな心で相手の話を聴くことにも挑戦していただきました。

法界定印を組んで、かすかに親指が触れていることを感じながら、
相手の話を聴くのです。

心の状態は、手に表れます。
心がどこかに彷徨っているときには、親指が離れます。

何かを考えていたり、退屈なときには親指が動き、
緊張したり不安なときはグッと親指に力が入ります。

指の力が強すぎるときは、自分の意見を押しつけているのかもしれません。
指が離れているときは、相手の話に関心を持たず、
自分のことを考えているのかもしれません。
これは相手から心が離れている状態です。

仕事などで交わされる会話は、刺激が強すぎると感じます。

強く伝えるのが当たり前になっているようですが、
皆さんは相手の言葉を聞いて、傷ついていませんか?
会話をしていて安心感はありますか?

私たちがコミュニケーションするときの表現は強すぎるので、
どこかで不安や緊張を抱えながら会話をしている方が多く
いらっしゃいます。

上手く言えませんが、かすかな心で会話をすると、
相手との間の強くもなく、弱くもない、
いいバランスが生まれます。
それが相手とのハーモニー、調和になってきます。

会話するときの心がまえは、コップを持つときの感覚に
似ているように思います。
セミナーの参加者に紙コップを持ってもらいました。
持ったときの感覚がどうだったか質問したところ、
皆さん覚えていませんでした。

紙コップを持つとき、私たちは無意識のうちに
コップの重さを予想して、落とさないように
グッと力を入れて持ちます。
このとき、意識しなければコップに触れたときの感覚は分かりません。

それでは、コップの微細な感覚を感じることを
意識しながら持ったら、どうでしょうか?
そっとコップに触れて持ち上げると、
グラスの素材感、温度感、重さが伝わってきます。

相手の感覚を感じるためには、こちらの力を抜く必要があるのです。
自分の力が相手に勝たないこと。
これが、相手とのハーモニーを作る際のポイントになります。

すみません。少し分かりづらいですよね。
現代では、分かりやすいことが良しとされていて、
分かりづらいことは敬遠されます。

禅は難しいです。
でも私が禅に惹かれているのは、絶対唯一の答えがない、
または簡単に答えが出ないからです。

そこには、自分のイマジネーションが入る大きな
スペースがあり、いろいろ工夫できる余地があります。
終わり無い探求をするためには、分かりづらいくらいが
いいのではないでしょうか。

でも、noteを読んでいただいている方や
セミナーに参加されている方からしたら、
分からなさ過ぎても、不親切すぎますよね。

分かる、分からないのバランスをいかにとっていくか。
最低限の加工をいかに施すか。
いつも考えます。

料理において、素材を活かすか殺すかは、
かすかな塩の量で決まります。
伝統の日本料理は、まさにひとつまみの塩の世界だと聞きました。

多すぎず、少なすぎない、ちょうどよい味を突き詰めているのが
「和の料理」であり、和の心。
禅にしても料理にしても、同じような伝統的な日本の心が
底流にあるのだと思います。

これまでこのnoteでは、禅をいかに仕事や人生に活かすかを
お伝えしてきました。

セミナーの参加者からは、禅のセミナーシリーズは、
とても体験的で、素材感を大切にしているのが特徴だという
感想がありました。

刺激や分かりやすいものを求めている人には物足りないかも
しれませんが、だからこそいいのだと思います。

今回かすかな心の大事さをお伝えしていますが、
かすかな心に偏ってしまうと逆効果になります。

何か正しい唯一絶対の答えや正義、真実を求めるのではなく、
一本の綱の上をバランスをとりながら渡り続けるのが
人生なのだと思います。

それを渡れるのは自分しかいません。
そのためには、時に分からないという苦しさの中にいて、
探求するしかないのでしょう。

私の役割は、あくまでも“きっかけ”を提供すること。
素材と触れることで、それぞれのイマジネーション、
工夫を各自が駆使して、“真の豊かさ”に気づいたり、
“つながり”を感じ取ってもらいたいのです。

これは、禅を血肉化していこうとする
私自身のあり方なのかもしれません。

皆さんも今度「かすかな心」で会話してみてください。
どんな会話になるでしょうか。

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赤野公昭

禅 × ビジネス

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