バブルの経済学

「伝道師として」の野口悠紀雄先生

野口悠紀雄 氏 と聞いて、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか?

日本を代表する経済学者。。。その通りです。
『「超」整理法』の著者、これもその通りですから、正解ですね。
もしかすると、こちらの方がご存じの方も多いのかも知れません。

学生時代に、大学で経済学を専攻していた私にとって、「野口悠紀雄」先生
のお名前は、一橋大学教授の肩書とともに、「ある種の」あこがれ的な存在
でありました。。。まぁ、アイドルの様なものですね。

2020年の現在、Wikipediaで先生のお名前を検索すると、

野口 悠紀雄(のぐち ゆきお、1940年12月20日 - )は、
日本の元大蔵官僚、経済学者。専攻は、日本経済論、ファイナンス理論。
一橋大学教授、東京大学教授、青山学院大学大学院教授、
スタンフォード大学客員教授、早稲田大学教授を経て、早稲田大学ビジネス
・ファイナンス研究センター顧問、一橋大学名誉教授。
行政法学者の野口貴公美一橋大学教授は実子。

の様に紹介されていますから、
まさに錚々たる肩書を誇る「日本の名士」です。

話は飛びますが、1990年の年明け早々の東京証券取引所において、
日経平均株価は大暴落しました。
前年1989年(平成元年)の大納会で、史上最高値の3万8915円をつけて
いた日経平均株価ですが、翌90年の大納会の終値は2万3848円です。
変調は、年明け早々に始まっていたのです。
日経平均株価は、4月2日までのたった3カ月間で28%も下落しました。

この時の衝撃的な印象を、私は今でも鮮明に憶えています。
「これは大変な事になる」
その直感が私にはハッキリとあったのです。

しかし、「その直感」も周囲の人々に説明しようとすると、上手く言葉には
できませんでした。
日本経済史を専門として『戦間期の分配構造』が卒業論文のテーマだった
私の脳裏には、『大恐慌』のイメージが浮かんでいた事は確かなのですが、
そこまで極端な表現で現状を説明する事には、躊躇していましたから。

日経や東洋経済をはじめ、当時の一流経済紙を片っ端からあたって、何とか
まず自分自身に論理的な説明をして、今直面している事態に対処するため、自分自身を納得させよう、としていたのだと想います。

そんな私の努力よりも、現実の経済現象の推移の方が素早く動くのです。
まずは、業界に生じた異変の噂が、沢山耳に入って来ました。
金融業界に派遣されていた技術者が、大量に自社に戻ってきている、と云う
のです。

事態の推移を視て、「その理由」は理解できていました。
心配だったのは、これが「大恐慌に発展するのか否か?」でした。
そうなるとベンチャー企業の創業者である私は、たちまちの苦境に転落する
事は眼に見えている。
この年に、私が経営していた会社は赤字に転落しました。

翌年の1991年5月には、名著「不確実性の時代」で著名であった、
ハーバード大学のガルブレイス教授が「バブルの物語―暴落の前に天才がいる」を出版しました。
この時には、日本国内でも「バブル崩壊」の認識が拡がっていた訳です。
もっとも、『Japan as No.1』と称賛されていた製造業などは、まだまだ好調です。

前年の赤字転落を受けて、会社ではキャッシュフローが悪化したので、経営
者である私は資金繰りに奔走する様になります。
それまでは、求人活動に一番頭を悩ませていた私は、ハッキリと方向転換を
意識します。
行動面で言うと、私はこの年の暮れまでに池袋のサンシャインビルの傍に
あった会社事務所を引き払って、練馬区の自宅マンションに移しました。

そして、翌年の早々に「自社の身売り」を決意したのです。
それまでの新卒市場では「青田刈り」が極限まで横行して、まさに人材確保
のための「新卒者拉致問題」までが話題になっていました。

翌年の1992年までには、「バブル崩壊」の言葉が明確に定着しました。
これに一役貢献したのが、野口悠紀雄先生の「バブルの経済学」(1992年11月)であったと思っています。
そして、この年の暮れに、私は代表取締役の辞任を決意したのです。

1993年11月には、野口先生はベストセラーの『「超」整理法』を出版
しておられます。
私はついぞ、今日まで「この本」を読んでいないのですが、先生ご自身が、
それまでの経歴と『思考法』そのものを、『「超」整理』されておられたの
だろうと推測しています。

先日、Twitter上の先生のプロフィールを発見しました。

野口悠紀雄
@yukionoguchi10
一人の伝道師として、信念を述べ続けたいと思います。
それが正しいと人々が認めてくれる日がいつか来ると信じて。

今年、御年80歳になられるはずの、「日本を代表する大経済学者」は、
ご自身の華麗な経歴にもご満足されておられない様子で、『一人の伝道師』
として活動を続けておられるのです!

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