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外史の外史

頼 山陽の記した『日本外史』は後の佐幕幕臣・幕末志士ともに好んで読まれ。後代の維新を迎えて後は尊皇思想の教科書的な扱いをされてはいるが、先出の見延典子女史は時代の趨勢によってそうなっただけのこと…という冷めた見方での取扱をされている。

曰く「『生かじり』されたのだ」との由。至当だと思う。

藩儒「頼 春水」の長子として生まれ。学識豊かな両親・叔父をはじめとし、父祖交流の方々から影響を受けつつ成長する山陽にとっての世界。ものの見方や考え方が江戸中期から後期に移らんとする時の、ちょっとすすんだ人の考え方だったのは…緒論ありますが、幸せなことでした。

山陽の祖父である「頼 惟清」が竹原で紺屋(染め物業)を主体とした商家であったことから。地元の諸賢・果ては上方(大坂)の学者から、子供である春水・春風・杏坪らに受けさせた教育が後々の山陽における「日本外史」の史観を醸成させるに至ります。

「日本外史」と云うと、外国の歴史?的なイメージではありますが。国家が正規の歴史として取り扱う「六国史」(日本書紀・続日本紀・日本後紀・続日本後紀・日本文徳天皇実録・日本三代実録)とは別して作られた史書ゆえ、「日本外史」と名付けられました。

この素稿。
「頼 山陽」が放蕩の限りを経。安芸浅野藩を脱藩した後、出奔先から引き戻され、実家の正門脇長屋に謹慎蟄居の傍ら。そこで書かれた下書きがベースなのよね。

脱藩と云えば、坂本龍馬やら吉田松陰を想像するムキもあろうかと思いますが、それよりは半世紀前。黒船とて訪れてはいないゴリゴリの幕藩体制でそんなことをしちゃったワケで。フツー、一族郎党処断廃嫡の上。お家は取り潰し…とか、なりそうなものなんですがね。

父である広島藩藩儒「頼 春水」の占める役割が重職でもあったことが幸いして。山陽は廃嫡の上、竹原宗家の相続後継者「頼 春風」の長男を藩儒「頼家」の正当後継者とすることを、藩主に認めて貰っている。山陽は蟄居謹慎にて一応の沙汰止み。

破格でしょ?取扱がさ。元町人ですよ?「頼 春水」さん。

後代、同業(といってイイものかどうか)の儒者・絵師・医者との交歓において。「頼 山陽」の人柄は激しやすく、一風変わった御仁である評価があちこちで為されます。

脱藩の理由も、厳格な父親とその職種に基づく倫理観を頑なに守り続ける側から、解き放たれたくて仕方が無かった…といったところですかな。

のちに歴史書かいちゃうぐらいだから、あちこちで天下国家を論じていた山陽の姿が、なんとなーくイメージできます。

尾崎 豊じゃあるまいし。

尾崎 豊だって30前になって反抗し続ける理由がどんどんなくなることを、唄う歌で表現しきれなくなっていったわけだけど。死んで伝説になるオトシドコロは、山陽にはございませんでした。死ぬどころか、生きながらえ、吠えて吠えて吠えまくる。

たとえば…書家の榊莫山さん。
若いときには臨書・楷行草…名だたる賞を戴いてのち。小字数書から前衛書の道に後年踏み入れたということで。何が言いたいかというと、ですね。「基本」みっちりできてるから、前衛書のステージに上がっても破綻することがない。

「頼 山陽」にも同じ事が云えて。

吠えに吠える…んですが。
彼のモノした著作は、精緻を極める推敲の上に成立した「作品」。しかも、人柄からは想像できないぐらい、まともでマジメ。

アノ父親(頼 春水)の息子が書く「日本史」ということで、受け容れられたのもアルには有りますかね。ともあれ、『日本外史』は当時の為政者が良書と認めたり、各方面から有り余るぐらいの賞賛が生前・帰幽後に降り注ぎます。

これは山陽自身に、日本人が受け止める自国の歴史を「吠えに吠える」では、到底表現しきれるものでもないという自覚はあって。ごくごくまともに書き上げたからこその評価だったんでしょうな。

後代の皆さんがそれを佐幕に使おうが、攘夷に使おうが、「日本人として知っておくべきハート」を日本なりの解釈で受け容れた、儒教や君臣父子の在り方を踏まえた歴史観から表現したという書物。

売れに売れた傍らで、幕藩体制を根こそぎ覆す人々の心にも作用し。「生かじり」されていくワケです。

龍華寺の太鼓橋と青紅葉は映えますな。

以降、頼山陽の歴史観は明治期以降のわが国がたどる、輝かしくも愚かな歴史の底流にされたわけです。(忠君愛国・七生報国・皇道・國軆の精華に国家神道)

尤も、今では振りかえるモノも稀な、いわゆる「古典」としての役目しか果たせなくなっておりますな。知らねーだろ、今日日の高校生が頼山陽の「日本外史」。

戦後民主主義の教育受けた人もまた、しかり。「で?」でオシマイ。

とどのつまり、ネットもケータイもないご時世で、この国の仕組みと考え方を知る上で、藩主・領民・浪人・町人に至るまで、本書の果たした役割は大きかった…というだけのことです。

現代は、文化人類や比較文化に社会思想。天下国家の為政者が何を社会に具現化しようとしたかを知る必要…アル人とナイ人の差が激しすぎます。ビットコインの相場は何が原因で上がり下がりするのか、ビットコイン関係ない人には知らなくていーワケですし。

どの国とどの国が争ってて、原因はナニなのか。今日一日を食うだけのために精一杯の人には…極論すれば、これまた必要のないことでございます。

一国の元首相が公衆の面前で狙撃・射殺されたとしても、民放各社。翌日の番組を一切改変して、なんてこともございません。ワクチン何回打ったかの方がなんぼか大事。

秋海棠(シュウカイドウ)と申します。

そーいうことで良いんです。
良いんですが「良いのかね…」と、もの思う気持も、大事に思います。