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【読録】オチョロ船の港

手元にある『オチョロ船の港』は1979年初版発行。

花街や飲み屋街をテリトリーとする作家でイチバンに思い浮かぶのは永井荷風。次は誰だろ…洒脱な遊び人というイメージは泉鏡花。

「鳩の町」では安岡章太郎。田中小実昌さんは「玉の井」をテリトリーとする滝田ゆうさんと頭の中では同列に出てくるヒト。

本作『オチョロ船の港』は、田中小実昌先生著。

出身は東京都千駄ヶ谷だけど、幼少期から学生時代は呉市をベースに移動する。戦時応召、あちこちで病気になり終戦を迎えて呉に戻る。1946年は応召により旧制高校を卒業取扱の人々が無試験で東京大学に入れた。

小実昌先生、東京大学文学部哲学科入学。

ほとんど出席せずに米軍キャンプで働いたりしてるから、1952年に除籍。(笑)いずれにせよ…この時代のヒトは世相に翻弄されたりするモノの。出てくるヒトは出てくるのね。後には直木賞作家となります。

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『オチョロ船の港』とは大崎上島の中に在る木江港・御手洗港を指しており。

旧くは、港沖合に停泊する船(木江港では船の修理などで停泊する遠洋から近海への漁船・商用船が往古よりあったという)に女郎さんを乗せた船が横付けして、船に乗り込み春を鬻いで(ひさいで)客を取る。そんな港であったそうな。

彼女たちは「沖芸者」と言われていた。

小実昌先生の描く時代には、オチョロ船の繁栄はとうの昔のこととなっており。地場に名だたる産業があるわけでもない、木江や御手洗の港。零落ぶりの方が目立つ頃のこと。

小実昌先生、地方の港町を旅してルポライターをしていた一環で、大崎上島をおとずれる。寂れ果てた港町には「はるみ食堂」という食堂兼飲み屋があるのみ。

飲み屋とも食堂ともつかない店に、近所の初老常連が訪れ。店主とおぼしき中年男、その連れとも妻ともつかないおネーさんをからかう風情。町も時間もとけて…何年経っても変わりそうにないその景色と人物たち。

70年代や80年代に云わず。こういうヒト(なにやってるのかわからない初老のおじさん)はいつでも居る。都会のうらぶれた飲み屋にも居れば、地方都市のわすれられた港にある飲み屋にも居る。

立ち直ることもできなければ、その気もどうだか怪しい人が。自棄になってその日を無駄に過ごしている様も…文章に起こし。その人の心持ちを著してゆけば、作品になる。

そういう作品を世の人に読んで貰う人の心とは何なんだろうなぁ…とページを繰っておりました。

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この食堂に居た、店主の連れとも妻ともつかない女の名前はチヨという。

店の主人は、行き場をなくしたチヨを店番旁々でここに置いており。チヨは広島から、この島出身の土工に連れられ訪れていた。土工には妻がおり、居心地の悪くなった土工は逃げてしまった。

同じ島に居ながら居場所のなくなったチヨは「はるみ食堂」に転がり込んで、手伝いをはじめることになる。

一日何度か、土工の妻が「はるみ食堂」に訪れ。チヨに夫である土工の行き先を尋ねることが続いている。

さて。大崎上島にやってきて「はるみ食堂」ですごす夜も更け。「どこにも泊まる場所がない」と嘆く小実昌先生に、チヨが「じゃぁ、うちの布団で寝たらええわ」と提案するのだが…。

というハナシでした。

『オチョロ船の港』は短編集で、旅先で出会った女性との哀しき歓びを綴った作品集。前後の話には伏線もリンクもございません。淡々と、小実昌先生が地方に出かけ、ねんごろになった女性との逢瀬を綴るのみでございます。

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インターネットも既婚者アプリもないご時世。
男と女の出会いなんてどういうキッカケだったんだろう…と素朴に考える時。「あぁ、小実昌先生の本にそういえばそんなハナシのつまったやつあったっけ」と思い出す。

「沖女郎」「オチョロ船」はもう、とうの昔。それでも島には島の人間模様や、結ばれたり結ばれなかったりの艶っぽい話もあり。まぁ、世の中。男と女しかいませんからね。。

この本に割いた…オレの貴重な時間を返せ!直木賞作家、田中小実昌!(故人)

御披見ありがとうございました。(合掌)

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