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【読録】海炭市叙景

佐藤泰志氏の著作である海炭市叙景。

ファースト・コンタクトは映画からでした。オムニバス形式で綴られる映画は、中短編とりまぜ、各々のエピソードが微妙にリンクしていて綴られる本編と対をなす作品。

再起を期して立ち上がる勇気すらちぎり取られる様な、地方都市の背負う哀しみが各々の作品から感じ取られる。寂寥感あふれる作品。

本作のモデルとなったのは作者佐藤泰志センセイの故郷、函館市ということになっております。

佐藤泰志先生自身、芥川賞候補5回。三島賞候補の履歴ありつつも、受賞に至らず。この作品を完成させることなく自死された…いわゆる遺作です。

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高校時代から著作への熱は高く、高校在学中に有島青少年文芸賞優秀賞受賞。種々大学では雑誌・同人誌に自身の作品を発表してこられた佐藤泰志先生。

27歳で自律神経失調症に罹患。

以後、名だたる賞の候補にはなりつつ受賞の栄に浴することなく。「作家としての活動では身を立てる事は難しいのかもしれない」というジレンマを抱えながら一旦函館に帰郷。

職業訓練校に通いつつ、「別の人生」を視野に入れつつ日々を過ごすも…作家への夢断ち切りがたく再上京。執筆の日々を重ねるわけです。

死後。佐藤先生の不安定な心の状態で不器用ながら現実を受け止める(受け止めねばならない)人々の心の移ろい表現に脚光が当たり、再評価。著作は平成年間に、次々と映画化されて行きます。

自死でのご逝去は1990年、満41歳。

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90年代以降、「失われた○○年」を我々は過ごしてゆくわけですけど。先に述べた佐藤先生ご執筆の、再起のチカラをもぎとられた地方都市のなにもない現実。70年代後半から80年代の停滞期を指しているものと思われます。

長い不毛な停滞時期と…たまたま、何かが功を奏して短い盛り上がりのある時期を過ごし、やがて、不毛な停滞期間を過ごす。。その繰り返しは佐藤先生自身が体感・体験してきた作家としての上がり下がりに重なってきます。

新人賞の下読みと書評を仕事とし、折々で作品を紡いで行くなかで。佐藤氏が描いていたのが本作ということになります。

書けないけど書く。
読めないけど読む。
『友が皆 我より偉く見ゆる日は 花を買い来て妻と…』的な。心の余裕のバランスが取れるほど、平成の東京は甘くなかったということでしょうかね。

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最も、心に残ったのは。

工場のある町で大量の首切りが伝えられ。妹と二人暮らしをする解雇対象者となる兄が、新年(ご来光?)を妹と最寄りの山で迎えるため。ロープウェイで山に登り。下りは二人で乗るお金がないから、妹だけを乗せ…。

「ジブンは歩いて降りる」と苦笑いを浮かべて云ったまま、ゆくえの分からなくなる兄。その後、ただただ、ロープウェイの麓駅で途方に暮れて兄を待つ妹の話でした。

兄が普通に降りてくれば、二人にとって。亡くなったと知らされても、後に残る妹にとって。いずれにしても、経済的な困苦は避けて通れないという誰も救われない話。

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そこから、この物語は始まるだけに。このどうしようもなく暗い話が、心をつかんで離しませんでした。

ちょっとしたことで笑ってみたり、楽観的な気持ちになったり。それでも現実に引き戻されるとどうしようもなく悲観的に(時にはそれが死に直結するぐらい)なってしまう。

心因性の病に罹った人間の心理描写とでもいうか。

たぶん。誰のそばにも、そういう問題のタネは転がっていて。「誰も助けてはくれない…」と思えてしまう心理状態。本作が作者の遺作となったのもうなずける印象を深く感じたのです。

文庫(連作)の中では、最後の方で…市職員が根気強く転居を勧める、猫と住んでいるお婆さんの旧い平屋の家が。お婆さんの施設転居を機に、市の整備計画に沿って取り壊されるお話しが出てきます。

お婆さんのいなくなった平屋の庭先には、お婆さんが植えていた草花もあるのですが、それらもまとめて撤去され…あっという間にお婆さんの家が重機によって倒されます。

我々の生活は、そうやって更地になり、何もなくなった後にできあがるもの。命をつなぐ行為の結果として、まぁ、あるわけです。

…あるんですが。

「その為に失われる生活もある。忘れられるものもある。そして、棄てられるものもある」と、作者は作品の中で描きたかったんじゃないかなぁ、と思います。

これはどうしようもない事。そして誰にも解決はできない事。その現実の中で我々はうきつしずみつしながら時を重ねてゆくしかない。それらの事情を「生活のため」だとか、涼しい顔で云えちゃう生き物なのだ、という。

「呪い」にも似た読後感を抱かせる『海炭市叙景』。

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寂しいけど、もう少しほの温かい気持ちで、人には接してあげたくなる様な…。そんな風に心を揺り動かされる作品でした。

今回の口絵は閉鎖の決まった呉市製鉄所から…音戸大橋でございました。離職相談会やら職安の特別ブースとかが一昨年ぐらいから開かれてました。こちらはこちらで大変かと思います。イイ職に皆さんが就けます様に。(祈)

長文、御披見ありがとうございました。(合掌)