身体と感情の関係 心の体重 うつ病の本質

 最近読んだIFSという心理療法の本に「身体にはもう一つの次元がある」みたいなことが書いてあった。そんな神秘主義風に言わなくてもいいのにと思う。他にもクリスティアン・ネフの「セルフ・コンパッション」には「フィーリーング・ボディ」という言い方がされていた。
 スピリチュアル系の本ではよく「感情解放ワーク」みたいなのがある。セドナメソッドやレナード・ジェイコブソンが有名だ。例えが汚いが、宿便みたいに溜まっている感情を全部出そうみたいな感じだ。胡散臭いな~と思っていたけれど、実際に瞑想をしていると、負の感情が出ていく。その際に欠伸が出る。身体の緊張していた部分がリラックスしているのだと思う。
 
 初期仏教に七覚支というのがある。悟りに必要な7つのパーツのことなのだが、その中に「軽安」というのがある。今、原語の「prasrabdhi」で調べると「心が望む方法で建設的な対象に自分自身を適用することを可能にし、精神的または肉体的な硬直を解消する精神的要因。」と出てきた。やはり古来から、瞑想をしていると身心の硬直がなくなると言われていたみたいだ。
 仏教関係でいうと少林窟道場のホームページには「自分の体が急に軽くなって、手元が大変明らかになるのもこの頃からです。」と書いてある。チベット仏教の「今、ここを生きる」にも身体が軽くなると書いてあった。

 ここからは僕の体験から得た仮説を書く。

 僕は16歳の頃から酷いうつ病だったのだけれど、身体が重くて動けなかった。よく「鉛のように重い」と言われるが、本当に全然動けなくて、トイレに行くのもしんどかった。
 うつ病の人の「三大妄想」というのがある。「貧困妄想」「心気妄想」「罪業妄想」と呼ばれる。僕の場合は後者の2つが酷かった。実際に再発性の身体の病があったのもあるが、自分が病気なのではないかと常に考えていた。罪悪感もひどく、自分は生きていてはいけないと信じていた。
 うつ病というのは「自己」に焦点が当たりすぎる病気なんじゃないか。うつ病の人の会話や文章では「私」「僕」のような一人称の頻度が、健常者に比べて有意に高くなるという。金、病気、罪といったことを異様に心配するのも、「負の自己」が肥大化しているためだと思う。金や病気や罪といった、人間条件の根本に関わる妄想が増えるのも当然だ。

 僕の場合は、抗うつ剤を飲んでもあまりよくならなかったので、瞑想をして治した。当時は何も思わないというか、そんなこと気に掛ける余裕もなかったが、身体が軽くなって、散歩にも出られるようになった。瞑想をすると「エゴ」が小さくなる。うつ病って一言で言って「負のエゴの肥大化」なのかな。
 
 瞑想は抗うつ剤に匹敵する効果があると言われているが、他にも「運動」が抗うつ剤と同程度の効果があると言われている。瞑想を始めてから、自分の感情に驚くほど敏感になったが、確かに、運動をすると下腹のあたりにあったドス黒い感情がなくなる。運動を終えた後に欠伸が止まらなくなることもある。

 多分「自我」というものが、「感情の流動性」を阻害している。フロイトの図式と比べると分かりやすいかもしれない。フロイトは「エス」という生物学的な衝動と社会との「調整役」が「自我」だとしている。僕の体感だとそうは思えない。生物学的なものであれ、過去のトラウマであれ、日常のストレスであれ、積み重なった負のエネルギーが身体には充満している。「自我」という「心配(調整)装置」が蓋になって、そのエネルギーが身体の外に出ることができない。自我が死んでいくと、エネルギーも身体外に出ていく。

 今の西洋生理学で言うと「自律神経」と関わる問題になる。「身体はトラウマを記憶する」というタイトルの本があるが、交感神経が過去に固着していると、身体が重く感じられる。副交感神経が優位になり、リラックス状態になると、トラウマも癒される。身体も緩み、軽く感じられると思う。この身体からのトラウマアプローチは「ポリヴェーガル理論」と呼ばれていて、僕の坐禅の師匠は福祉関係の仕事をしていたのだが、「臨床の現場ではかなり使われている」と言っていた。正直本を読むと結構ガバガバ理論に見えるのだけれど、役に立つなら良いと思う。

 気功の観点からも話をしたい。気功には「識神」と「元神」という概念があって、識神というのは後天的な知、元神というのは身体知を指す。気功って流派によって言っていることが違うので一概にこうとは言えないが、識神と元神のバランスが崩れると、問題が起きるらしい。識神を「自我」、元神を「自然治癒能力」と考えたい。自我が肥大化すると、元神の自然治癒能力がうまく発揮されなくなる。そこで気功を行うことで、入静(心を静める)の状態に入り、自然治癒能力が遺憾なく発揮される。気功で癌が治るとよく宣伝されているが、少なくとも気功の理論で言えばあり得ない話ではない。
 識神を静めるために、呼吸を数えたり、丹田に集中したりするのだが、僕は仏教の文脈で瞑想をしており、すでに識神がほぼ静まっていたので、気功をして二日目で身体の状態が奇跡的に良くなったのだと思う。本を読んで知ったのだが、普通はもっと時間がかかるらしい。
 気功的に言えば、「身体の中で重荷となっている感情エネルギー」のことを邪気というのかなと思う。まあこれについてはよく分からない。

 うつ病になると「実際に」身体が重く感じられるし、瞑想をしていくと「実際に」身体が軽くなる。
 瞑想は「心の筋トレ」と呼ばれることが多いが「身心のダイエット」と呼んでもいいと思う
 

 


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