見出し画像

お寺座LIVEに聞く

※富山別院発行「ともしび」(2011年号)に掲載されたテキストです。

黒部市宇奈月町浦山「善巧寺」で行われている「お寺座LIVE」は、地方のお寺イベントでありながら、大手の音楽情報サイトや情報誌に毎年大きく取り上げられ、週刊文春では俳優や映画監督と並んで住職が掲載されました。6回目となった今年は250人分のチケットは即日完売。二次募集に用意した立見席50人分も十分で売り切れという人気ぶりです。その成り立ちや内情を聞いてみました。

—以前、落語会をやっていたと聞いていますが。
うちのお寺では、先代が永六輔さんを招いて年に一度落語会を催していました。子どもの頃からその様子を見ていましたが、スタッフとして関わるようになったのは、二十歳を過ぎてからの数年です。たくさんのお客さんが詰め掛ける様子や、舞台裏のピリピリした空気はとても刺激的でしたが、イベント自体への疑問も多くありました。

落語会のコンセプトには、落語家の本家帰りを謳っていました。落語はお坊さんの法話がルーツですから、本家のお寺で落語をやろうというものです。30年以上続きましたが、最終的にゲストの体調不良を原因に終了しました。

——落語会への疑問とは何でしょうか?
元々、永六輔さんの企画に先代が乗っかったというカタチで、先代がいた頃は、ゲストと一緒に話せるだけの関係があって、前座には先代がお話をしていました。それが先代がいなくなってからは、母が代表でご挨拶するようになり、私が携わった頃には、完全に永六輔さん主催のイベントになっていました。こちらはゲストにもの凄く気を使いながら、ただ場所を貸しているだけではないかと思うようになりました。そこで、そもそもこのイベントは何のためにやっているのかとても疑問に思いました。とは言っても、ゲストと対等に話せるほどの度量もないので、「年に一度のお祭り」として受け止めるようにしていました。喜んでくれている人もたくさんおられたので、それはそれで意味があるのかなと。

何かのインタビューで、永六輔さんが落語会に対して、「会いに行くお坊さんがいなくなった」とおっしゃっていました。この言葉には大きなショックを受けました。今考えると、先代への暖かい言葉だと思うのですが、当時の私は、自分があまりにも眼中に入っていないことを重く受け止めて、いつかお坊さんと認めてもらえるようになりたいと思ったものです。

——落語会の復活は考えましたか?
当時は、児童劇団(雪ん子劇団)のOBを中心に、大人の部が結成されて間もない頃で、お寺には頻繁に同世代の仲間たちが集っていました。彼ら彼女たちは、花まつりや盆踊りなどの行事も支えてくれていたので、このメンバーがいれば落語会の復活も難しくないと考えていました。ただ、同じスタイルのものを復活させる気持ちはありませんでした。それほど落語に興味の強いメンバーもいませんでしたし。

——スタッフはすでに揃っていたということですね?
はい。それは本当に恵まれていました。自分が育てた劇団員が大人になってお寺の会館に集う様子は、きっと先代が描いていたとおりじゃないでしょうか。30年はダテじゃないとしみじみ思います。

——お寺座LIVEを始めたキッカケは何ですか?
ミュージシャンとの繋がりがいくつかありました。関東でお寺の音楽会を開いている企画者との繋がりもあったので、2006年に永代経の期間中、勢いでスタートしました。

—なぜ音楽を軸にしたのですか?
好きだからです(笑)。それと、お寺との相性が抜群によいと思いました。おつとめも、見方を変えればひとつの音楽ですし、ミュージシャンが曲の間に曲説明を入れたりするMCは、法話に置き換えることも出来ると思います。

ちょっと大げさですがコンセプトには「お寺は文化の発信地」を謳っているので、音楽だけにこだわっているわけではなくて、うまくまとめることが出来るなら、ダンスやパフォーマンス、小芝居や落語を入れてもいいと思います。ただ、それらの引き出しはまだあまり持っていないので、今は、若者にとっても特に身近な音楽を軸に構成しています。

—ミュージシャンの選定はどうしているのですか?
この人が相応しいと思う人を私が列挙した上で、スタッフからも意見を出してもらって、そのリストから、今年はこの路線でいこうと優先順位を決めていきます。もちろん集客も考慮していきますが、ただ有名人を呼ぶというスタンスではなくて、音楽的なクオリティを重要視しています。これは、独断と偏見の何ものでもないかもしれませんが、自分なりにより良いものを追求していきたいと考えています。また、数組のゲストで構成していくので、全体のバランスも大事にしています。特に、電子音楽とお寺の相性がとてもよいと感じていて、それは、「今」を象徴するような音楽と、歴史のある空間が繋がるようなイメージで、大げさに言えば、刺激と安心が共存する空間とも言えるかなと。

——法話とおつとめを入れることにはこだわっていますか?
それがお寺のスタンダードだと考えています。これは、落語会の反省からなのですが、「イベントをご縁に他の行事にも来て欲しい」というような下心は持たないようにしています。目的が他にあるというのは、見透かされると思いますし性に合いません。このイベント自体が仏教の話にも触れるご縁というスタンスです。ただ、やっぱり長い話は無理ですね(笑)。10分の曲が2曲ほどの時間と考えています。20~30代の若者は、あまりにもご縁がないために、仏教やお寺へのイメージが「抹香臭い」を通り越して、無味無臭というか、イメージ自体がないような人が多いと思います。だから、逆に新鮮に響く場合が多いと実感しています。中には席を立って休憩する人もいますが、大半は耳を傾けてくれていて、ご年配の方より集中して聞いてくれるという印象があります。これに関しては、他府県の若手僧侶で音楽イベントを企画する数人の仲間とも意見が一致しています。

おつとめは、ある程度の演出は必要だと思っていますが、全体の構成として、耳馴染みのよい音楽から抽象的な音楽までのふり幅を持たせるようにしているので、最後にシンプルな読経は心地よく響くものだと考えています。夜通しダンスミュージックで踊って、最後にアンビエントな音楽で締める(チルアウト)という遊び方がありますが、うちの場合は、最後の読経が締めです。言葉は良くないかもしれませんが、いろんなことに想いを馳せる装置にもなるんじゃないでしょうか。

プロジェクターによる照明効果などの演出は、大ろうそくや煌びやかな仏具で仏さまの素晴らしさをあらわしているように、現代的な「荘厳」ととらえています。

—宣伝方法はどうしていますか?
通常のイベントと同じく、チラシの配布、情報誌への掲載依頼、ネット宣伝が主です。チラシはスタッフで手分けして県内のお店300箇所ほど、ご近所には一軒一軒手配りで200ほどでしょうか。宣伝というよりご挨拶まわりの気持ちがあります。ネット宣伝は、初年度はSNSのミクシィがひろく使われていたので、関連するコミュニティへ告知していました。今はツイッターのほうが伝播力がありますね。来年はフェイスブックも延びてきそうです。いずれにしても、企画に興味を持ってくれる人がいなければ伝播されませんし、全国のイベントと横並びにもなるので、予定通りにはいきませんが、宣伝費をかけずに告知出来るのでとても助かっています。

当初は、地域の人や門徒さんに足を運んでもらえるように努力していましたが、興味のない人を無理に誘ってもあまりよい結果が得られなかったので、今はお知らせまでに留めています。他の行事で補っていきたいと考えています。

—他にこだわりはありますか?
所有の照明器具は限られているので、プロジェクターの映像で他にはない雰囲気を作っています。これは、知り合いにそれを仕事としているお寺の息子さんがいたので、彼の力に頼っています。また、開演前や休憩中にも音楽をかけているのですが、その担当者も友人のお坊さんに依頼しています。思うに、荘厳というのは、仏さまの素晴らしさをカタチであらわしたものだと思うのですが、それはろうそくやお花、金ぴかの仏具に限ったものではないと思います。今の技術を使って、いかに仏さまを荘厳していくかということを考えると、いろいろと夢が広がります。

——イベントで注意していることはありますか?
ゲストには最大の敬意を持ちながら、対等に話せるように努力しています。あくまでお寺が主催であるという軸がぶれないように、ゲストやスタッフと一緒にイベントを作っていくという意識を大切にしています。

あと、お寺の役員さんと地域住民の方への配慮も気を付けています。スタート時は、出来る限り関わってもらえるようにつとめていましたが、趣味的な要素も強いので、あまり無理はせずに、若い世代のがんばりを応援してもらえるようになるのが理想です。そのためには、事前のお知らせで熱い気持ちを伝えられるように心がけたり、外からの評価を高められるような、イベント自体のクオリティを上げることにも努力しています。遠回りになりますが、何かしらで還元出来るようになればうれしいです。そういう意味では、週刊文春に取り上げてもらったのは思わぬ副産物でした。あるご門徒さんは、住職が載っていることにとても喜んでくれて、村に一軒一軒コピーを配ったと聞きました。ありがたいことです。

——今後の目標はありますか?
とりあえず10回は続けたいことと、毎回何かひとつでも挑戦するようにしたいです。これは、じつはお寺の法要にも言えることではないかと思います。奇をてらうわけではなく、今回は差定を見直そうとか、役員に仕事を振ろうとか、お扱いに力を入れてみようとか、あの人を直接お誘いしてみようとか、とにかくひとつでも力を入れて積み重ねていくことが大事だと思います。惰性や守りだけになると、廃れていくのは目に見えていますね。
さきほど下心は持たないようにと言いましたが、ありがたいことに、毎年イベント後にはお客さんが何人か遊びに来てくれて、そこからスタッフになったメンバーもいます。あくまで賜り物ですが、本当にありがたいことです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?