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サヨナラだけが人生

もう詩が浮かばなくなった
世界は沈むだけだ
地震では浮かばれない、沈没する原子力発電所

帰省中の自己実現をリピートし続ける脳内再生は終わったのだ。あれは神話になって歌われた。滅亡の歌として。今はもうなくなって人もいない伝説の島。

風圧で進んでいる気のしない自転車をこいで、ノートの端に来てみれば、まっさらな空白をただ汚せと迫ってくるおれのからっぽだけがヒューヒュー。

天気予報は雨のち曇り。人生が無駄であるというのはオレが自由である証だろうが。革命がとん挫してオレは自由を手に入れた。いや、実は革命が自由だったのではないかと最近は疑っている。

それは、あいつがオリオンの3つ星になりそこなったというだけの話なのではないのか。24を3で割るのか2で割るのかという話ではなく、ただからっぽの風がヒューヒュー鳴っているだけ。中身がなければうらみもない。魂が抜け切っていればキンタマもだらんとしている。ここにもういないよ、サヨナラ。バイバイ。それが人生。

あそこで流れた血と柱時計がぼーんと鳴る籟狂病棟で流れた血と何か違いがあるとでも?

ぼくらが見ているのは現実の影にすぎなくて、本当のことはぜんぜん、何も、気にもとめられない。あれは詩であった、と称えられたその時、影だけになり、色あせる。

影しか記せない場所に住んでいるからみんな頭が狂うのか、むしろ、そこに住まないから狂うのか、どっちが正常なのですか?

永遠に狂わない時計は、ねじ曲がった時空間に放られて、1秒が永遠に止まらなくなって暴走。どこまでも時は切り刻まれ、もういやになったんだろう。

早く狂ってしまえばよかったのに。

友が言う。
「お前、狂ったんだな、、」

詩と革命と自由がたくさん
愛が狂い咲いているよ

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