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あんた、顔に書いてあるわよ!

生涯一無職を標榜している私ですが、ものを教えるということでギャランティをもらうということは多かったですよ、例えば、家庭教師で……と言っても、相手方に出向くのではなくうちに来てもらうことの方が圧倒的に多かったけれども。んでもって、やってくる人たちとおふくろが顔を合わせるということも少なくなかった。
「あら、最近、美緒ちゃん、ちょっと頑張ってるんじゃない?」なんてことを言い出すんですね。「顔に出てるわよ」なんてんで。で、たしかに、その時期、件の美緒くんは「ちょっと」頑張っていた。実はうちの母親は顔相を見る能力があったんですよ~、なんてな話ではないわけですが、そういうことはよくあったし、よく当たった。
当たると言えば、あさがやんずの初代ヴォーカリスト、ヤン・オブライエン(日本名ヤスオ・オバラ)の御母堂サキさんは天気をハンドレッド・パーセント当てるので有名だった。どんなに晴れていても、これから雨よ、やすお~、傘もっていきなさ~い、なんて彼女が言うと、本当にその日は降る。気象庁よりもはるかに頼りになる、あの野生の勘とでもいうべきものはどこから来るものだったんだろうな。
いかん、話が逸れた。

「顔に出てる」って、みなさんも子ども時代に言われませんでしたか? 私は小さい頃によく言われましたよ。何かしらしでかしたりして、嘘というほどでもなく白ばっくれたりしているときに、いいタイミングで「顔に書いてあるわよ」なんて突っ込まれると動揺してばれちゃう、みたいな。
こういうときの「顔に出てる」は風体や挙動不審で見破る、的な、言ってみれば、警察官があいつは怪しそうだってんで職務質問かけるのと似たようなもんでしょうかね。最近は全く呼び止められなくなったけれど、職質ってさ、昔は失礼な人が多かったよね。「おい」なんてな具合に声をかけられたりするもので、こちらも「おいって何だよ」ってんでつい喧嘩腰になっちゃたりして、無駄に長引く展開になったりした。あれはお互いにとって良くなかったな。A total waste of time。
いかん、またもや話が逸れた。

そういう短期的な「顔に出る」のとここのところ勉強や生活をきちんとしているというときの「顔に出る」というのはちょっとちがうよね。「顔に出る」というより「顔になる」というべきなのかもな。
美緒くんが勉強をちょっと頑張ってる、ってことだけじゃなく、思い出すのは、昔の生徒が、ある日、最近こんなことやってんですよと言って、自転車のハンドルをくるくる回したり、自分がびゅんと回ったり、みたいな曲乗り的なのを見せてくれたときのこと。いいやつなんだけど、どっちかと言えば、のんびりぼんやりしがちだった彼が、その自転車のときにはやっぱりすごくいい顔になっていたんですね。「顔に出て」いた。ほほぉ、と感心した。曲乗りの技術にも感心した。
音楽でもそういうことがある。上手い下手ってだけじゃなく、ちゃんとやってるかどうかってのは顔に出てくると思っています。んで、そういうのって伝播するんだよね。なので、意外に重要です。バンドがイケてるときは概ねみんないい顔になっている。
顔合わせのスタジオにあらわれたときには、こんなんで大丈夫かいな、みたいな、ちょびっと演奏に不安のあるような若手のおにいちゃんでも、回数を重ねるうちに、おっ、ちゃんとやってるね、いい顔になってきたな、なんてことはある。まあ、もちろん逆だってあるけれども。
遊びだってそうですよ。漠然と遊んでいる人とちがって、ちゃんと遊んでいる人はやっぱりいい顔してるもんね。ハンサムだとかそういうことじゃなく、いい顔。高円寺の種馬(?)という名誉ある称号を持っている大先輩なんて、いつもちゃんと遊んでいるから、いつ会っても生き生きとしたいい顔してるもんなあ。すごい人だ。

とはいえ、人間ね、いつでもそんなにちゃんとしてばかりもいられないわけでね、ぼーっとしたりすることも大事なわけですが、そういう時期にはやっぱりぼーっとした顔をしているもんですよ。ま、それはそれでいいわけだけどね。

何にせよ、この手のこたぁロジックでは説明のできない領域で、それこそ私見に過ぎないわけですけれども。

なんてなことを書いた上で、さて、自分の顔はどうかな、と鏡を見てみる。どうですかね、この顔。

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