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天沼の原田?

将棋は強くない。というか、まあ、動かし方は知っているけれども素人枠というところ。中学生の頃、ヤン・オブライエンくんと盤を挟んでいて、待った、いや、待たない、さっき待ってやったじゃねえかよ、それはそれこれはこれ、みたいな、よくある感じで揉めて、結局、将棋盤をひっくり返して、もうおまえとはやんねえよ、なんてなことになったりしていた程度が私の将棋のバックグラウンドです。記憶を辿ると弟にもよく負けていたような気もします。
なんだけれども、嫌いということではないんですよ。それになんとなく縁があるような気がすることもあります。というのは、テレビをつけたら小学生将棋大会みたいなことをやっているのにでくわすということが少なくないんですね。羽生、森内、村山、中井さん、渡辺明、なんてな印象的なお子たちがのちにプロになって活躍するのを目にしたりして、へええ、なんて思ったりすることがたびたびありまして。ところが、昨今大活躍の藤井くんというのは記憶にない。小学生将棋大会には出ていなかったのかな。
中でも羽生くん……今では羽生さん、いや、羽生会長様ですけれども……の印象は強いですね。彼がプロに上がってきてテレビで見かけるようになった頃のこと、今みたいに将棋チャンネルなんてなものがあるわけではなかったのでたぶんNHK杯ってやつです。あれでちょくちょく出くわしたような記憶。ああ、そうか。「新日曜美術館」を観てそのままにしていると将棋がはじまるのか。先に申し上げたように、将棋のあれこれがわかるわけじゃないんですが、解説の人たちが絶句するような場面を見て、今のはプロにも予測できないすごい手なんだな、なんてことが伝わってきましたよ。ようわからんけれど、とんでもないことが起きているんだなって。画面の中で、説明すべき立場のヴェテラン棋士やアシスタントの女性棋士が、あれあれあれあれ、なんてな感じでたびたびざわつくようになっていってね。その様子がすごく面白かった。
解説にもいろいろな人がいますが、記憶によく残っているのは「天沼の原田」と自分のことを連呼する原田泰夫。彼が将棋を指しているのを見たことはないような気がするけれども。あれこれを説明するのに「天沼の原田」はこう思う、的な表現を連発するのが何ともおもろかったなあ。天沼ってのはうちの近所なわけで親近感も湧いた。NHKだから日本全国津々浦々にまで放送されていたんだろうけれど、天沼って何だろうって思っている人がほとんどだったんじゃないでしょうかね。東京の人だって天沼って言われて杉並のあそこだね、なんてわかる人は多くはないと思いますよ。あのスタイル、やろうかな。これからは喋るときに「阿佐ヶ谷の佐藤としてはね」とか接頭語的に連発しよう。でも、実のところ、うちは最寄りの駅は阿佐ヶ谷じゃなくて南阿佐ヶ谷なんだよね。それに住所としては阿佐ヶ谷でさえない。こんなんで「阿佐ヶ谷の佐藤」を名乗るのは軽度の詐欺に相当するでしょうか。

麻雀はすごく好きだったんですよ。というか、今だってやればおもろいんだろうけれども、かれこれ二十年だかもっとかな、やっていない。教わったのは従兄弟の中で最年長だったカンちゃんからです。遊びごとの大半は彼から伝授された。低学年のときでしたね。弟とふたりしてすっかりはまりました。親戚や友だちとあれこれやるだけじゃなく、高校を出た頃にはフリーの雀荘で知らないおっさんたちと卓を囲むようになりましたな。麻雀だけで生活している市井のプロ雀士という人やらテレビ屋の偉い人やらどこぞの組長さんやら、普通にしていたら出会わなかったような人たちとも顔を合わせたりするのも面白かったな。先方のみなさんも、十八、九の小僧っ子が対等に渡りあってくるのを楽しんでいたように思います。おにいちゃん、度胸もあるし、受験なんかやめてうちの組に来ないか、なんてスカウトされたりして。楽しかっただけじゃなく、そこそこ怖い目にあったりもしたけれど、まあ、どうにか切り抜けられたのは運が良かったのか。いや、悪運が、と言うべきなのかな。
将棋だって百パーセント運が作用しないとは言えませんね。先手を決めるのに駒を投げるところのみならず、その日の体調、例えば、今日はちょっとお腹がゆるくて集中できねえぜ、とか、うちの猫、最近食が細くなって心配だ、なんてな要素もメンタルに効いてきたりもするでしょう。それに、同じ時代に生まれたとか、そういうこともね、意外に大きい。とはいえ、麻雀に比べれば圧倒的に少ないですよね。
一方、麻雀はね、誰が考えたんだか知らないけれど、偶然の度合いがほどよいんですよ。運と技術のバランスがいいところでおさまっている。点数の仕組みもようわからん、役もあんまり存じあげませんのよ、おほほ、というような、ドのつく初心者でも勝つことは十分にありえる。とはいえ、長期的にみれば技術に優れている人がトータルでは勝つ可能性が高い。手の内を隠して遊ぶので言葉であれこれ惑わすような心理戦要素もあり。
コツコツと頑張る衣山くん(仮名)が技術よりは運頼みで勝負する男、牧(仮名)に負けちゃうこともある。とはいえ、逆に、ラッキーボーイ牧が変てこな待ちで罠を張る衣さんに倒されることだってあるわけで、そのバランスがいいんですよ。さらにそこに阿佐ヶ谷の佐藤がからみ、阿佐ヶ谷の佐藤弟も参戦し、おっと関兄弟もお忘れなく……なんてことをね、よくやっていた。
麻雀に関しては、もう一点、すごく大事なことがあります。将棋や囲碁とちがって、一対一じゃないところがね、いいんですよ。おれが勝ち、おまえは負けってマンツーマンの関係性だとやっぱり負けが続いたりするとおもしろくない、やってらんないってなりましょうが、四人だとね、勝ったり負けたりがもわっとしてくる。こういうところも含めて、(日本の)麻雀のルールを考えた人は、ほんと、センスがいいよな、と阿佐ヶ谷の佐藤は思う次第であります。
阿佐ヶ谷の佐藤、何十年ぶりかに麻雀をやりたくなってきたな。

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