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サイン本久しぶりに

中上健次 千年の愉楽 を読み終えて その
圧倒的な筆力になぶり殺され ため息をついて
さて あとに読んで物足りなくないのは何 と
買ってしばらく置いてあった古井由吉の 雨の
裾 を丁寧に梱包されたビニールの頑丈な
包みをほどいて 硬い表紙を開いたら作家の
サインがしてあった サイン本久しぶりに見たな
と思って四角張った 古井由吉 という似た感じ
の四文字をしばらく見てから いつものように
読むのに邪魔な帯とカバーをいったん外した

長篇小説にできる事を考えた それは短篇で
やろうとすると単なる矛盾になってしまうような
事 例えば 死んだはずの人物がいつの間に
か生き返ってみたり 主要人物と思ったらいつ
にか消えていたり 無意識でやると単なるでた
らめになってしまうような そういうあやかしの
試みは長編で しかも計算しつつも圧倒的な
筆力によってなされるところでその仕掛けに
打ちのめされる そういった読みの快楽がある
中上健次も古井由吉も そういう筆力の作家
だから 読むほうも疲労困憊する しかし そう
いう読書は 何かを書き留めようとするなら欠く
事の出来ない行為なのだろう

朝起きてパソコンをつけたらやっぱり壊れていた
昨日あまりにディスプレイが汚かったので消毒
アルコールをびしびしに霧吹いたら水分が入って
しまったようで画面が砂嵐のようになってしまっ
た それが昨日で すぐ復活したので油断をしたら
直ってなかった さっと戦慄しその後ろを娘が
大学に出かけ パソコン壊れた と呟いたのを
聞いた妻は 朝の早起きを取り返すべくすっと
隣室に寝にいった 今日は場合によっては夏日
などと言っていて しかし午後 風が出ると言っ
ていたから釣りどうしよう などと思っているのは
この かつては無くて今は手放せない しかし
脆いところの多々ある機械のせいでさっと消し
飛び そういえば中上 古井 ともに一番脂の
乗っていた80年代はまだネットなんて噂にすら
上らなかったなと思い起こした 私がネットの
仕組みを噂に聞いたのは確か90年前後だった
かと記憶している 当時は パソコンで書く作家
は安倍公房ぐらいだった その頃に古井も中上も
多少読みかじったものの あの時代にあっては
私には今一つしっくりこなかった 思えば あの
80年代からバブル崩壊までの10年強は おお
むねが過剰な時代だったんだなと現代日本文学
の中心的存在だった二人の作品を今読んで
みて強く感じた 傾向は違えど 二人ともこれで
もか と言葉を執拗に書き連ねている ここは
さらっと流す と言ったところがほとんど無く 書
こみに書き込みを重ねて その結果として幻想
性や神話性を帯びてくる そういえばあの頃は
幻想性が持てはやされた時代だったとも振り
かえることが出来る ある種 夢心地にきらきら
過ぎて行った一つの日本のピークと 今だから
気がつけるということだろうか このあたりは
改めて考えてみようかと暇な日常のありふれた
大事件のさなかでうっすらと考えていた

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